2015年6月23日火曜日

Youtube 第3次世界大戦:冷戦と米露核戦争の恐れ


確かな記憶がないのですが、昨年2014年の2月だったと思います。主としてグローバル化にともなって世界で起きている様々な問題に関する動画レポートを制作しているGlobal Research TV という報道組織のインタヴューを受けました。テーマは核兵器問題をめぐるもので、一見、核軍縮がこの数年進んでいるようで、実際にはそれとは逆に核兵器が使用される危険が高まっていることを報告しているものです。番組のタイトルはWorld War 3: Cold War and the Threat of Nuclear Warfare Russia Against USA (第3 次世界大戦:冷戦と米露核戦争の恐れ)です。昨年2月に放送されているのですが、それが先月5月末にユーチューブに載せられました。

私のコメントは、短いですが、オバマ政権下で、実はブッシュ政権時よりはるかに米国の核兵器予算が増額しており、ミサイルから取り外された核弾頭をできるだけ長期間にわたって維持するために多額の金が使われているという事実についてです(5分47秒あたりから、私のコメントが映されています)。 下記が、その番組のアドレスです。英語ですが、ご興味があれば見ていただければ光栄です。



少し古いですが、2012年のオバマ政権の核兵器予算に関する私の分析も参考にしていただければ光栄です。カナダの乗松聡子さんのブログ「ピース・フィロソフィー」に載せていただいたものです。


広島市民による「被爆・敗戦70年談話」発表集会



■日 時: 6月27日(土)14:00‐16:30
■会 場: 広島市まちづくり市民交流プラザ北棟5階研修室ABC(広島市中区袋町6-36)
■趣 旨:  
           アジア太平洋各地での日本軍による様々な残虐行為、
    沖縄戦・東京を含む日本全都市への焼夷弾無差別空爆、
    広島・長崎への原爆殺戮攻撃、日本のアジア侵略戦争
    敗北から70年を迎えます。しかし2千万人をはるかに越
    えると推定されるアジアの犠牲者に対する日本の戦争
    責任、100万人を超える米軍無差別空爆の日本人死傷者
    に対する米国の戦争責任を、日米両国政府とも、いま
    だ認めようとはしません。その結果、両国とも「歴史
    の克服」には完全に失敗し、したがって、両国とも民
    主主義を実践する能力を欠落させています。
     安倍晋三政権は、植民地支配と侵略戦争、ポツダム
    宣言を否定し、村山談話、河野談話を骨抜きにした戦
    後70年談話を準備しています。そして通常国会会期を
    9月末まで大幅延長し戦争法の強行突破を決意し、何が
    何でも米国の戦争に参戦し、その中で大日本帝国の亡
    霊を復活させようというのです。それが自民党憲法改
    正草案です。そもそも憲法違反で、アジア太平洋民衆
    にとどまらず中東・地球の隅々の民衆にまで敵対する
    日米同盟(日米安保)そのものを廃棄する運動が情勢
    から求められていると考えます。
    広島市民による「被爆・敗戦70年談話」(反「安倍談
    話」)を発表します。

■内 容: 
     
     天野恵一(ピープルズ・プラン研究所、反天皇制運動連絡会) 講演60分
    
    + 横原由紀夫(東北アジア情報センター)
    + 星川洋史(関西共同行動、6・4被弾圧者)
    + 広島市民による「被爆・敗戦70年談話」発表/田中利幸
    + 討論
    
    講師プロフィール:
      天野恵一(あまの やすかず)1948年生まれ。
      「反天皇制運動連絡会(反天連)」、「福島原発事故緊急会議」
      「再稼働阻止!全国ネットワーク」等で活動。『季刊ピープルズ・プラン』編集委員。
      著書
      『危機のイデオローグ―清水幾太郎批判)』(批評社、1979年)
      『情報化社会の天皇制―続天皇制イデオロギー論』(社会評論社、1988年)
      『マスコミじかけの天皇制』(インパクト出版会、1990年)
      『メディアとしての天皇制』(インパクト出版会、1992年)
      『反戦運動の思想―新ガイドライン安保を歴史的に問う』(論創社1998年)
      『沖縄経験―<民衆の安全保障>へ』(社会評論社、2000年)
      『「日の丸・君が代」じかけの天皇制』(インパクト出版会、2001年)
      『災後論 核(原爆・原発)責任論へ』(インパクト出版会、2014年)

■参加費:  1,000円。
■主催者: 「検証:被爆・敗戦70年―日米戦争責任と安倍談話を問う―」実行委員会(代表/田中利幸)
http://www.d6.dion.ne.jp/~knaruaki/tudoi/2015/2015.html
■事務局: 広島市西区天満町13-1-810 FAX 082-297-7145
      電話 090-4740-4608 Eメイル kunonaruaki@hotmail.com(久野成章)
■郵便振替 01320-6-7576「8・6つどい」 
■ゆうちょ銀行「店番139 当座 店名一三九 口座番号0007576」

2015年6月12日金曜日

ナチス的手法の安倍政権



自民党は自分たちが推薦した参考人の憲法学者3名が、3名とも安保関連法案=戦争法案は明らかに違憲であるという、極めてあたりまえの意見を表明したことに対して、本来ならば、謙虚に自己検証を行うべきである。本当は憲法学者の意見など参考にしなくても、我々ごく普通の市民の目から見ても違憲であることは明らか。ところが、「学者より自分の方が憲法を勉強してきた」、「違憲であるかどうかは政治家が決めること」(高村)、「安全保障環境が変われば、憲法解釈も変わる」(中谷)、「違憲かどうか議論することに意味がない」(稲田)など、批評するにはあまりにも低劣で愚鈍な反応しかしない。私はあまり『論語』を高く評価してはいないが、その『論語』の中に、「過而不改、是謂過俟(過ちを改めざる、是を過ちと謂う)」という言葉がある。彼らがやっていることは、はっきり言って憲法を犯す犯罪行為である。その犯罪行為である「過ちを改めざる」は、さらなる「過ち=犯罪行為」なのである。こんな単純なことも分からない愚鈍な連中が、国家の将来を左右する最も重要な政策を決定する権力を共有しているという「権力共有幻想共同体」を、安倍晋三という危険なリーダーの下で形成している。まさに彼らは、安倍という権力者に追従することで、自分たちが「権力を共有している」という幻想に陥って自己満足しているのであるが、このあまりにもひどい現実を一刻も早く打破しないと、文字通り我々は彼らに「殺され」、彼らに「他者を殺す」ことを強制される。



下記は、「第九条の会ヒロシマ」の最新のニュースレターに掲載していただいた拙論であるが、タイトルを「ナチス的手法の安倍政権日米戦争責任と安倍談話を問う」と変更して、ここに転載させていただく。



「ナチス的手法の安倍政権日米戦争責任と安倍談話を問う」



副総理・麻生太郎が、2013729日、講演で「ドイツのワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。誰も気が付かなかった。あの手口に学んだらどうかね」と述べて、国民の大半が気がつかないうちに密かに憲法を変更してしまったらどうかと、破廉恥にも犯罪的と言える提案を堂々と行った。欧米諸国でナチスに学ぶことを提唱するこんな暴言を閣僚が公的な場所で吐いたならば、猛烈な批判を四方八方から浴びて即刻辞任を迫られるだけではなく、政治家生命が完全に絶たれることは日の目を見るより明らか。ところが、日本ではたいして「異常な発言」と受け取られないという社会状況が、まさに異常である。この麻生暴言は、19331月にヒトラー政権が成立するや、大統領緊急令を発令して憲法で定められた人権保障規定を棚上げしたり、政府が議会の決議無しに法律を制定できるような「全権委任法」を導入することで、憲法改定を行わずに、実質的には憲法改悪に匹敵することをナチ党が行ったことを指している。



この麻生暴言から2年近くが経とうとしているが、今や、安倍内閣ががむしゃらに進めていることは、まさにこのナチス政権が行ったのと同じような「憲法棚上げ」の偽装欺瞞政策である。とくに、集団的自衛権行使解禁に基づく日米安保体制の根本的な見直し、その結果としての様々な新しい関連法の立法作業は、福島瑞穂議員が喝破したように、「戦争法案」作成以外の何物でもない。そうした法案の一つ、自衛隊による他国軍への後方支援を随時可能とする「自衛隊派遣恒久法案」に「国際平和支援法」などと欺瞞的名称を与えるなど、安倍政権は、恥じることもなく、虚偽に基づく立法で憲法9条を実質的には無効にする違憲行為を行なっているのである。ナチス政権は、「独裁」を「より高次の民主主義」、「戦争準備」を「平和の確保」などと呼ぶゴマカシ表現を数多く使った。安倍が、日本を戦争のできる国にする「積極的軍事主義」のことを「積極的平和主義」などと呼んでいることも、まさにナチスがやったことと同じ手法なのである。かくして、「あの手口に学ぶ」ことは、麻生が奨める以前から、安倍晋三は堂々とやっている。問題は、安倍本人に、こうしたやりかたが虚偽行為であるという自覚が全くないことである。自分に都合の悪い批判は、すべて他人が間違っていると最初から信じ込んでいる、そのどうしようもない身勝手さである。まさに独裁者気分なのである。



その上、この数年で、秘密保護法成立、「河野談話」「村山談話」の否定、沖縄米軍基地辺野古新基地建設、教育委員会制度改悪、残業代ゼロ政策、労働派遣法改悪案など、安倍政権が次々と導入している政策を検証してみると、それらの反民主主義性、基本的人権無視など政策そのものの劣悪さについてはあらためて述べるまでもない。さらなる問題は、その導入方法そのものが全て詐欺的な「だまし」であること、にもかかわらず大部分の国民が「だまされている」と意識すらしていないこと、そのことの危険性、重大性である。すなわち、今や日本では民主主義の原則が根底から崩壊しつつあるにもかかわらず、全般的に、その危機意識が国民の間では極めて薄い。



しかも、こうした偽りとだましの政策の積み重ねの上に、今年半ばには「安倍談話」なるものを打ち出そうと画策中である。安倍晋三はこれまでの首相談話を継承すると言いながら、「安倍談話」では「村山談話」には触れないと述べ、またもや「ごまかし」と「大嘘」で「安倍談話」を作成する可能性が濃厚となっている。事実、210日には、安倍は建国記念の日を前にメッセージを発表し、「日本の素晴らしい伝統を守り抜くことで……改革に取組む」と述べ、「安倍談話」を考える上でも戦争責任問題を全く念頭におかないことを示唆した。さらに、422日にジャカルタで開催されたアジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年首脳会議での演説、429日の米国連邦議会での演説でも、安倍は、一応は「大戦の深い反省」という表現を使いながらも、「植民地支配と侵略」については一言も触れることはなく、謝罪することもなかった。したがって、彼が「大戦の深い反省」など全くしておらず、単に批判を避けるためだけの詭弁であったことは明らかである。



もちろん、重要なことは、「談話」の表現がいかなるものであるかという技術的な問題ではない。肝心なのは、1931年から45年の15年という長きにわたって、アジア太平洋各地で残虐な侵略・占領行為を行い、推定2100万人という数の死傷者を中国に、その他にも数百万という数にのぼる死傷者の犠牲をアジアの様々な国民に強いた、その日本の責任をいかに重く受けとめ、いかにその償いを果たしていき、どのような形でアジアの平和構築に貢献していくのか、そのことのビジョンを、日本を代表する首相が打ち出せるかどうかである。そのようなビジョンを打ち出すためには、記憶、とりわけ被害者の記憶=痛みを自分の痛みとして心理的に追体験する、つまり被害者との「記憶の共有」を行い、加害者と被害者の相互理解に基づく歴史認識をしっかりと持つ必要がある。



安倍に将来に対するビジョンが完全に欠けているのは、まさに、彼が軍性奴隷制度や南京虐殺など日本軍による残虐行為の歴史事実に関する記憶そのものを抹殺することで、侵略戦争の歴史を正当化しようとやっきになっているからである。記憶の抹殺については、ドイツの「過去の克服」のための教育推進で重要な貢献を果たした哲学者テオドール・アドルノが、次のように述べている。「記憶の排除とは、無意識のプロセスが優勢であるために意識が弱体化して起きているものではなく、活発すぎるほどの意識が行っていることなのです。とうてい過ぎ去ったとはいえないことを忘れ去るという行為の内には、激情の響きが洩れています。他人を説得して周知の事実を忘れさせるためには、まず自分自身を説得して忘れさせなければならないではないか、という激情が。」(強調:田中)つまり安倍もまた、国民を説得して、祖父・岸信介がA級戦犯容疑者であったことを含む周知の様々な日本の戦争犯罪の事実を忘れさせるために、自分自身を激しい感情で説得して忘れさせようとしているのである。「慰安婦」問題をめぐる朝日新聞への激しい攻撃は、まさにそうした安倍の激情の表れの一例なのである。

記憶の抹殺を通して安倍と安倍支持グループがやっている「過去の邪悪な戦争の正当化」、すなわち「過去の克服」の失敗は、現在と未来に関する偽装欺瞞政策をも産み出しており、すでに述べたように、それは明らかな違憲行為である集団的自衛権行使用容認やその他の戦争法制の整備を通して、同時に「将来の戦争を正当化」しているのである。かくして安倍政権は、日本の民主主義体制の全面的解体作業をますます強め、日本社会破壊への暴走を加速させている。



一方、米国は、アジア太平洋戦争終結時に、原爆による21万人(内4万人は韓国・朝鮮人)にのぼる広島・長崎市民の無差別大量殺戮、それに続く日本の降伏を、日本軍国主義ファシズムに対する「自由と民主主義の勝利」と誇り高く主張した。しかも、「原爆使用がなければ戦争は終わっていなかった」と、無差別大量殺戮という「人道に対する罪」を虚偽の論理で正当化し、その正当化の「神話」がいまも多くのアメリカ市民の間で強く信じられている。つまり、無差別大量虐殺という由々しい「人道に対する罪」の自覚不能のゆえに、米国もまた「過去の克服」に失敗した。「人道に対する罪」を犯した国家責任が問われることがなかった米国は、その後も、朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガン戦争、イラク戦争などで繰り返し無差別爆撃殺戮を続け、世界各地で多くの市民を殺傷し続けてきた。にもかかわらず、その犯罪性が追求されることがなく、したがってなんらの国家責任も問われないままこの70年を米国はおくり、いまも核兵器をはじめ多くの大量破壊兵器を保有している。



「邪悪な戦争」をするたびに、いつも「正義の戦争」であると主張してきた無責任国家である米国、その米国の支配に完全に従属し、独立国でありながら米国の植民地のごとく自立性を失った政策を70年間も続け、国民への真の責任を回避してきた日本政府の無責任さ。そのような日米両国の無責任さにも、現在の日本の民主主義崩壊の大きな原因がある。同時にまた、そうした状況に断乎抵抗できる個々人の自律と確固たる信念、それらを支えかつ自己批判をも可能にする普遍的原理の内なる確立を国民的レベルなものとしてこなかった我々市民自身の責任も、ここで再確認する必要がある。



戦後70年を経たいま、安倍政権を打倒し、日本を本当の意味で人道的、平和的な社会にするような方向にその進むべき進路を矯正するためには、もう一度、戦後の様々な問題の発生源である「戦争責任問題」を厳しく再検討・批判し、いろいろな局面での日米両国の国家責任を詳しく問い直すことが、必要不可欠であると私は信じる。つまり「過去の克服」を国民的レベルで成功させない限り、安倍政権打倒は困難であり、日本社会の破滅を避けることもひじょうに難しいと私は考える。



そのために、今年の「86ヒロシマ平和へのつどい2015」では、84日から6日の3日間をかけて「検証:被爆・敗戦70年―日米戦争責任と安倍談話を問う―」という集会を開くことを提案し、計画中である。みなさんからの強力な支援と協力をえて、この集会をぜひとも成功させ、安倍政権打倒の運動に少しでも貢献できれば幸いである。



この集会のプログラムを含む詳細情報については、私の個人ブログの「集会案内」欄を参照してください。(アドレス:http://yjtanaka.blogspot.jp/



田中利幸

86ヒロシマ平和へのつどい2015」代表


2015年6月5日金曜日

世界記憶遺産をめぐって


1)知覧特攻平和会館展示批判

2)広島文学資料保全の会主催シンポの紹介



1)知覧特攻平和会館展示批判



去る411日から、ハワイの真珠湾に停泊している戦艦ミズリー号内において、鹿児島県の知覧特攻平和会館所蔵の展示物の特別展示会が始まった。周知のように、194592日、このミズリー号艦上で、マッカーサー元帥が指揮する連合軍側代表団に対して日本政府代表である重光外務大臣や梅津参謀長が降伏文書に署名する儀式が執り行われた。しかし、あまり知られていないことは、同年411日に、ミズリー号は神風特攻の攻撃を受けて右舷甲板後部に火災を起こすという損害を被ったことである。つまり、今回の展示会は、その攻撃の70周年を記念する特別行事であり、しかも、神風特攻関連展示会が海外で開かられるのはこれが初めてである。ミズリー号は現在、博物館として使われており、展示会は今年1111日まで続く。展示品には、知覧特攻平和会館における展示と同様、神風特攻隊員が書き遺した遺書、手紙や軍服が含まれているとのこと。





411日の特別展開会式典には知覧特攻平和会館のある南九州市の霜出勘平市長をはじめ多くの日本人が参加。開会式に続き、静岡大学情報学部で英会話/メディア論を教えている准教授のジョージ・シェフトールという(アメリカ人と思われる)人物が神風特攻に関する短い講演を行った。本人は神風特攻研究の専門家と自負しているようで、私がネット検索した限りでは、著書は1冊もないが、神風特攻に関する論文をこれまでに3つほど発表している。講演記録を読んでみたが、きわめて基本的な歴史的解説に終わっている。しかし、講演後のインタヴューで行った質問に対する回答からは、この問題に関して、彼がかなりの知識を持っていることが分かる。下記がそのインタヴューの記録である。




問題は、知覧特攻平和会館所蔵の展示品、とくに神風特攻隊員が書き遺した遺書、手紙、日記類の、彼の分析・認識の仕方である。周知のように、神風特攻隊員が遺したこの種の資料の多くが、『きけわだつみのこえ 日本戦没学生の手記』(岩波文庫)に収録されている。死を目前に母親、恋人、妻など最愛の人に宛てて書き送った、深い心理的苦痛と哀しみを含んだ文章を目にする者は、誰もが涙せずにはいられないことはあらためて言うまでもない。しかし、シェフトールは、この事実だけから、神風特攻隊員の遺書や手紙は、ただちに「平和思想」を呼び起こす貴重な資料であるという結論にまで一挙に飛躍してしまう。私はこういう単純で希薄な分析にはとうてい賛成できない。「平和思想」を育むためには、このような悲惨な死を多くの若者に強制した戦争、その戦争を誰が、何の目的で、どのように引き起こし、なぜゆえにそのよう悲惨な結果を招いたのか、という歴史的背景を批判的に検討する知識を同時に持たない限り、「特攻隊員の愛と哀しみ」だけでは重厚な「平和思想」は決して生まれない。それどころか、「特攻隊員の愛と哀しみ」だけをやたらに強調するだけでは、「愛する人や故郷の存続のための自己犠牲」という形で「若者の死」を極端にロマン化してしまい、こうしたお涙頂戴のロマンティシズムを通して、特攻隊員を結局は「英雄化」してしまう。これまで神風特攻隊員に関しては無数の劇映画が制作されてきたが、ほとんどが、こうした類のメッセージを含んだものばかりである。ヘイトスピーチの達人である百田尚紀の小説に基づいた最近の映画『永遠のゼロ』はその典型的な例で、本来は自爆攻撃である特攻に反対である主人公の宮部久蔵が、部下を救い、その部下に自分の妻や子供を託すという「深い愛」のために自分の命を犠牲にするというストーリーになっている。この映画を鑑賞する者は、ほとんどが涙を流して感動するのであるが、実は、その「感動」によって、日本が行った戦争がどれほど「狂気じみたもの」であったのか、その責任は一体誰にあったのか、という最も重要な問題が完全に隠蔽されてしまうことに気がつかないのである。



私は、こういう視点からシェフトール批判を展開する英文論考を、つい数日前に発表した。




知覧特攻平和会館も、そのホームページから明らかなように、戦争は「真珠湾攻撃」から始まっており、それ以前の日本軍による中国やベトナムへの侵略戦争については全く無視。しかも、戦争の原因を連合諸国側が日本に対して導入した資源輸出禁止=経済封鎖のみに求めるという説明をつい最近までしていたのである。ところが、不思議なことに、上記の私の知覧特攻平和会館批判論考が発表されてから、この戦争原因の解説部分だけがホームページから削除されてしまっているのである!偶然にしては、あまりにも不思議である。



知覧特攻平和会館は、その所蔵資料がユネスコの世界記憶遺産に登録されるよう、申請運動を昨年から始めた。しかし、昨年は、その資料提示の仕方が「日本からのみの視点」に基づいたもので、人類共通の記憶遺産としてはふさわしくないという理由から、国内選考で落選している。ところが、知覧特攻平和会館は今年再び申請を行う予定で、準備をすすめている。シェフトールのハワイ講演やホームページからの一部情報削除は、おそらく、こうした申請運動と密接に絡んでいるのであろう。今年は、山口県周南市にある人間魚雷の歴史博物館である「回天記念館」もまた世界記憶遺産登録申請を行うようであるが、基本的に、この記念館も知覧特攻平和会館と同じで、人間魚雷で自爆していった若者を英雄化することだけにとどまっている。そのホームページの冒頭では、「祖国と愛する者を守るため、隊員たちは命をかけて出していった」という言葉が掲げられており、配布パンフレットには「祖国を守りたいとの一心から……全国から多くの若者が集まってきた」と、あたかも、回天搭乗員たちはみな熱心な志願者であり、強制など全くなかったかのような虚偽の表現を堂々と載せている。万が一にもこれが世界記憶遺産に登録されるならば、まことに恥ずかしい限りである。



2)広島文学資料保全の会主催シンポの紹介



今年は、広島の市民団体「広島文学資料保全の会」が、被爆作家のうちの3人、原民喜(1905-1951)、栗原貞子 (1913-2005) 、峠三吉 (1917-1953)の手書きの原稿やメモの世界記憶遺産登録の申請を行う。具体的には、栗原貞子の「創作ノート あけくれの歌」と原民喜の「原爆被災時の手帖」(両方とも1945年)、および峠三吉の「原爆詩集 最終稿」(1951年)であり、それらは、広島のいわゆる「原爆文学」の初期作品の中でも、最もよく知られ、最も深い影響力を有する小説や詩の作品の元になった資料である。「広島文学資料保全の会」は、申請理由として、「彼らは、徹底した破壊という恐るべき体験の恐怖を詩や小説という形で表現した。しかし同時に、そうした作品を通して、彼らは人間生命の尊厳の必要性と世界平和の重要性を訴えたのである。彼らの作品の幾つかは外国語に翻訳され、海外で広く研究され評論されている。…….. 核兵器攻撃生存者の極端に悲惨な体験を証言する重要な原資料として、とりわけ貴重な価値を有している。これらの資料は、後の世代が核戦争の恐ろしさを知り、反核意識を世界中で高めていくための貴重な資料でもある」と説明している。



私は、個人的には、この3名の中でとくに、自分たちの原爆被害のみならず、同時に日本人の戦争加害にも深い洞察力を働かせて感動的な詩を創作した栗原貞子の作品は、「人類共通の遺産」となるべき価値を十分に有していると確信している。その意味で、登録申請が成功するよう祈ってやまない。



「広島文学資料保全の会」では、この申請運動のために下記のようなシンポを広島市内で開催する予定であるとのこと。ぜひ傍聴して、これらの資料が世界記憶遺産登録に値するかどうか自分で確かめていただき、支援運動に参加していただければと願う。


シンポジウム         

「広島の被爆作家(栗原・原・峠)による原爆文学を 世界記憶遺産に
2015年6月13日(土) 14時~17時
               YMCA2号館・地下 コンベンションホール

1.開会の挨拶
2.パネリストによる発表・提言                    各20分
① 古田陽久さん ( 「世界遺産総合研究所」所長 広島市在住 )
世界遺産と世界記憶遺産の意義、及び登録へむけてのアドバイス

   ② 安蘇龍生さん ( 「田川市石炭・歴史博物館」館長 田川市在住 )
山本作兵衛コレクションが世界記憶遺産になるまでの経緯、及び登録された
後の課題

   ③ クレアモント康子さん ( シドニー大学准教授・日本文学研究家 シドニー在住 )
外国では原爆文学がどうとらえられているか―栗原貞子を中心に―
   
④ 水島裕雅さん ( 「広島文学資料保全の会」顧問、広島大学名誉教授 千葉在住 )
原爆文学の世界史的・人類史的意味―原民喜・峠三吉・栗原貞子の文学―

<休憩>
3.三人の作品の朗読  
原爆被災時の手帖~(片山朗) 生ましめんかな(本郷美香) 「原爆詩集」の序(八木良広)
4.パネルディスカッション                        60分
コーディネーター   水島裕雅さん

5.フロアーとの意見交換                        20分
6.閉会の挨拶
 



2015年6月3日水曜日

読書感想


読書感想

井上俊夫著『初めて人を殺す 老日本兵の戦争論』(岩波現代文庫)



目下、国会では安全保障関連法案=戦争法案についての集中審議が行われているが、安倍晋三首相と閣僚の答弁は、予測していた通り、嘘と誤魔化しの連続で、なにがなんでもこれらの法案を通してしまおうというかたくなな意地がもろに見える。これは、ナチス政権がやったのと全く同じ「憲法棚上げ」を、堂々と首相自らが行うという犯罪行為そのものである。しかも、自分に反対する意見には全く耳を貸そうとはせず、口汚くやじるという、一国の首相としてはもちろん、一個人としても、民主主義の基本的手法と人間としての品格を欠くテイタラクぶりを露呈している。実は、安倍が猛烈に進めている集団的自衛権行使容認、戦争法設置、壊憲などの動きは、すべてA級戦犯容疑者であった彼の祖父・岸信介が目論んでいたことであり、安倍にはなんらの政治哲学や思想といったものはなく、根本的には、動機は単なる「お爺ちゃんコンプレックス」にあると私は考えている。その詳細な説明については別の機会にゆずるが、集中審議の内容を報道する新聞にも違和感を感じる点があるので、この点と関連させて、最近読んだ一つの著書に関する感想を述べておきたい。



違和感を感じるというのは、これらの法案が国会を通り、自衛隊が海外での戦闘行為に駆り出されれば、自衛隊員に多数の犠牲者=死傷者が出るという危険性に関する記事や報道は出るのであるが、自衛隊員が他国の兵員を殺傷するだけではなく、市民をも殺傷する危険性が格段と高まることに言及する報道がほとんどないことである。もっぱら自分たちを「戦争被害者」としてのみとらえる日本人の意識が、ここにも大きく反映されており、多くの日本人には、自衛隊員が「他者を殺害する」ということに想像力が働かないらしい。言うまでもないことであるが、ベトナムやイラクで米軍兵員が市民を殺害するという戦争犯罪行為がひじょうに多かったことは周知のところである。敵が誰か分からないという状況では、いつ攻撃されるか分からないという恐怖心から、無差別に市民を殺害してしまう。「殺られる前に殺る」という心理である。言うまでもなく、これは米軍に限った現象ではない。実はこれは、アジア太平洋戦争では、日本軍も各地で犯した戦争犯罪行為であった。その最も極端で典型的な例が、主として中国華北で日本軍が展開した「三光作戦」である。抗日ゲリラ活動が激しかったこの地域では、抗日ゲリラを支援していると少しでも疑われた村落住民は、「殺し尽くし、奪い尽くし、焼き尽く」されるという日本軍の燼滅作戦の犠牲となった。いわゆる平和時には他人を傷つけることすら躊躇してしまう普通の我々一般人が、戦争に駆り出されると、いったいなぜゆえにこのような残虐行為を犯すことができるようになるのか。この問題意識にたった上で、「自衛隊の戦闘参加」で何が起きうるのかという問題を考える必要があるが、日本のメディアならびに一般市民にはこの視点が決定的に欠落している。



そこで、兵が人を殺すようになるその心理過程について、体験者として正直にその詳細を自己分析している著書、その題名も『初めて人を殺す』を紹介したい。著者の井上俊夫は1922年に大阪近郊の農家に生まれ、1942年に徴集されて中支に派遣され、捕虜生活を含め足掛け5年の間、日中戦争に従軍し、46年に帰国。戦後は野間宏、小野十三郎に師事して詩人となり、大阪文学学校や帝塚山学院短期大学などで教えた。1957年に出した詩集『野にかかる虹』で第7H氏賞受賞。その後も数多くの詩集やエッセー、随筆を出しており、2008年に亡くなっている。実は、正直なところ、恥ずかしながら私もこの著書をつい最近読むまで、こんな本が2005年に岩波現代文庫として出版されていることを知らなかったし、井上俊夫氏という人物についても全く知らなかった。この著書は、井上氏が1990年代初期から晩年の2000年代半ばまでに発表した戦争体験に関する幾つかのエッセーを集めたものを文庫本として纏めたものである。



戦争で中国兵のみならず一般市民をも殺害した様々な残虐行為に関しては、中帰連(中国帰還者連絡会)のメンバーである元日本軍兵たちの証言録に詳しく書かれているので、それほど目新しいことではない。約1千名の日本軍兵士が、戦争直後、中国の撫順戦犯管理所に戦争犯罪人として抑留され、中国で自分が行った戦争犯罪行為について自己分析と自己反省を長年にわたって繰り返し行うことを要求され、最終的には全てを正直に告白し、1956年に中国共産党が開いた戦犯裁判でほぼ全員が起訴免除・即時釈放となり帰国した。これらの元日本軍兵たちの一部が、帰国後、1957年に創立した組織が中帰連で、彼らはその後これまで長年「反戦平和運動」や「日中友好運動」を展開してきた。今では、高齢のためメンバー数がひじょうに少なくなったが、現在も活動を続けている。戦争加害者として自分たちの責任を証言活動という形で果たそうと努力している彼らの行動には頭が下がる。彼らの証言内容が真実であることにはほとんど疑いがない。しかし、その証言の多くが、自分たちが犯した残虐行為の詳細を極めて客観的に描写し、その責任をはっきりと認めてはいるのであるが、個人としての複雑な「心の葛藤」の描写がひじょうに少ないことに私はなぜか不満を感じるのである。その原因は、撫順戦犯管理所で彼らが繰り返し自分たちの残虐行為について詳しく自己分析することを繰り返し課された結果、個人的な「心の葛藤」に関する描写はなるべく削除し、犯罪行為だけをできるだけ厳密に且つ客観的に描写するようになった結果かもしれない。その意味で、私は、中帰連メンバーの証言には、ある種の「物足りなさ」を常に感ぜざるを得ないのが正直な思いである。残虐行為を犯した人間に複雑な「心の葛藤」がないはずはない。その「心の葛藤」を知らなければ、「人を殺す」ことの心理的問題の根本を知ることはできないのではないか、というのが私の思いである。



これに比較し、井上俊夫の『初めて人を殺す』には、井上個人の「心の葛藤」、すなわち残虐行為に対する罪意識と、同時にその罪意識を抑圧し閉じ込めてしまおうとする「心理的な揺れ」が正直に書き連ねてある。彼は、1943年の中国の江西省南昌から40キロほど離れた田舎町での駐屯部隊内での初めての外地での軍隊生活、すなわち、上官のすさまじい暴力行為に毎日さらされる初年兵の辛い日常生活について詳しく語る。その内容は、五味川純平が『人間の条件』の中で描写している軍隊内の激しい暴力状況を彷彿とさせる。その初年兵の生活描写の最後に、井上を含む23名の初年兵が中国人捕虜1名を銃剣で突き刺す刺殺訓練をさせられた状況が詳しく述べられている。捕虜を初年兵の刺殺訓練に使うことは、中国では頻繁に行われていたことで、井上の所属する部隊に限られていたことでないことは言うまでもない。



井上は書く:

《えらいことになったぞ。誰もこの場から逃げることは出来ないんだ。俺も人殺しをやらねばならないのだ。しかし、これも俺が男らしい男になるための、試練に違いない。こんな経験を積む機会はめったにあるもんじゃない》

私はこのように自分に言い聞かして、順番が回ってきた時、銃剣をもって型通りの突進をした。しかし、五体を蜂の巣のように突かれて朱に染まった軍服から内臓をはみ出していた リュウ(捕虜の名前)は、既に死んでしまっているのか、それとも息があったのか。無我夢中で銃剣を突き立てた私には、なにか豆腐のようなやわらかい物を突いたという感触しか残らなかった。

最後になって無理矢理前へ引き出された馬場二等兵は、どうするかと思っていると、「かんにんしとくなあれ、かんにんしとくなあれ」

しきりに哀願する馬場に亀岡兵長が激しいビンタを食らわした上、生駒上等兵と二人がかりで馬場にむりやり銃剣を構えさせ、なんとかリュウを突く真似をさせた。

                     (カッコ内は田中による付加)



井上は、なぜ「善良な市民」であるはずの自分たちが、このような残虐行為を犯すことができるようになってしまうのかを、以下のように、自問しながらも、ある意味で自虐的に正当化しようと試みるが、結局は正当化できないという複雑な心境を吐露している。



「日本人として善良な市民」は、兵士になっても戦場に投げ込まれても、どこまでいっても日本人として善良な市民であった。………

ではなぜ兵士は残虐行為がはたらけたのか。兵士の背後に「大日本帝国」があったからだ。兵士が所属する帝国が、敵国とみなした国に侵略し、その国の軍隊と戦い。敵兵を殲滅せよと命じていたからだ。時と場合によっては、敵国の非戦闘員を殺傷しても構わないとしていたからだ。

恐ろしいことだが、兵士は一度残虐行為がもたらす愉快を覚えてしまうと、もう病みつきになり何度でもやりたくなってくるのだ。殺人だけではない、略奪然り、放火然り、強姦然りである。

そして、こういうことをいくらやっても、大日本帝国という後ろ盾がある以上、兵士はちっとも怖くないのである。罪の意識など全然感じる必要はないのである。

それどころか、日本が戦争に負けて大日本帝国が崩壊しても、戦後何十年たっても、帝国時代に兵士としてやったことはなんら反省する必要はないのである。日本人として善良な市民とは、そういうものなのだ。



このように書いた後、井上はすぐに次のように続ける:

仮に若者から「そもそもあんたがたに戦争に反対する資格があるのかよ」と言われたら私には一言もないのである。………

いくら国家の強権が背後にあったとはいえ、いくら幼少の頃から皇国史観と軍国主義による徹底した教育を受けていたとはいえ、たやすく兵士となり、たやすく戦場に赴き、侵略戦争の忠実な尖兵として働いてきた私には、もともと戦争に反対する資格がないのだ。



自分が生き延びるためには、自分が殺られる前に相手を殺さなくてはならない。そのためには、殺す相手の人間性はもちろん、自分の人間性をも否定しなければならない。敵から人間性を剥奪し、同時に自分の人間性を徹底的に否定する訓練を、日本帝国陸軍は抵抗手段を完全に奪われた「捕虜」を刺殺するという犯罪行為を通して行うことを日常化させた。捕虜刺殺という極端な訓練方法はとらないとしても、様々な方法を駆使して「敵」を殺せるようになるような訓練、すなわち敵兵から人間性を剥奪することで敵を殺せるようになるように自己の人間性を否定する訓練を兵隊たちにほどこすのは、いかなる国の軍隊であろうとも同じである。一旦人間性を奪われた新兵が、激しい戦闘に投げ込まれ、敵兵だけではなく「敵軍に属する市民」と考えられる人間の人間性を奪い、殺傷することを繰り返すことを余儀なくさせられることで、自己をますます残虐化させ、ますます人間性を失っていく。かくして、他者の人間性剥奪、その結果としての自己の非人間化と自己残虐化は、必ず悪循環して激化していく。これが戦争の、誰にも避けられない、必然的な結果である。自衛隊員も、戦闘に直接参加するようになれば、当然、「人殺し」ができるような、このような訓練をますます受けるようになることは避けられないであろう。「人殺し」という罪意識を排除し、正当化するために、「国を守るため」の「防衛活動」というおざなりのタテマエ=口実が用意されている。アジア太平洋戦争では「兵士の背後に皇国『大日本帝国』の防衛があった」ように、ベトナムやイラク戦争では「米国兵士の背後に『正義の戦争を行うアメリカ合衆国』があった」のであり、将来の自衛隊の戦闘員には「平和な日本の防衛」というタテマエがすでに用意済みである。自衛隊員は、あくまでも「善良な市民」として「人殺し」をするようになるのであり、井上が主張したように「罪の意識など全然感じる必要はない」はずなのである。では、ベトナムやイラクで「人殺し」をして帰国した米兵たちの中に、なぜ、かくも多くの自殺者が多いのであろうか。このことを、現在審議されている安全保障関連法案=戦争法案との関係で、我々はもっと真剣に考えてみるべきである。



話を井上の著書に戻そう。残虐行為に対する罪意識と、逆になんとかそれを自己正当化したいという気持ちの間で揺れる心理的葛藤は、「慰安婦」に対する井上の態度の描写にも如実に表れている。戦後55年も経て、偶然にも、日中戦争従軍時代の上官でもあり戦友でもあった滝口弥三郎という人物から井上にメールが送られてきた。それを機会に、滝口が亡くなるまで、井上は滝口とのメール交信を数年にわたって続け、戦争体験に関するさまざまな意見交換を行ったのである。その交信の中で、井上が、中国の武昌の「慰安所」にいたある中国人の姑娘(クーニャン)=「慰安婦」を好きになり通い詰めたことが話題にのぼった。しかし、井上は、転属になることが分かったため、彼女との別れを惜しんで「涙」と題した詩を当時作ったことを滝口に説明した。その姑娘が井上と別れるのはいやだといって泣きじゃくったと、井上はその詩の中で書いているのである。しかし、本当に彼女がそう思っていたのか、それとも井上の勝手な解釈であったかどうか、55年も経った今では彼自身にもあまり自信がないと述べる。これをきっかけに、井上と滝口は「慰安婦」問題で長々と意見を交わすが、以下はその中からの抜粋である。



滝口:俺もお前も若い時は国家権力によって戦場に引っ張り出された無知で哀れな大日本帝国陸軍の兵士だった。その哀れな兵士をなぐさめてくれたのは、ほかならぬ俺たちよりもいっそうみじめで哀れな異国の女たちだった。つまり哀れな者と哀れな者同士が力いっぱい抱き合ってみた夢。それがお前の「なみだ(涙)」という詩の世界だったんだ。………

だが、井上よ。韓国の元慰安婦の証言によれば、彼女たちは日本の敗戦により辛うじて祖国に帰還できたのに、自分を「汚れた女」としか見てくれない周囲の無理解に苦しめられてきたというじゃないか。………



井上:そうだ滝口よ。そこが元慰安婦と俺たちが決定的に違うところなんだ。俺たちは中国でさんざん中国の民衆の怒りと侮蔑を買うようなことをして、祖国へ引き揚げてきた。しかし俺たちは、人殺しをやり強姦をやり、慰安婦と寝てきた「汚い男」だというふうに見られる恐れはなかった。俺たちはいとも簡単に軍服を脱ぎ捨て、「私はなにも悪いことはしておりません。善良な市民です」という顔つきで戦後の社会に、易々と潜り込むことができた。けれども韓国の元慰安婦たちは「従軍慰安婦という日本軍にむりやり着せられた制服」を容易に脱ぐことは出来なかったのだ。その制服を脱ぐのに何十年もかかっているのだ。………



滝口:……… 戦場に兵士として駆り出された俺たちも、慰安婦にされた女たちもひとしく「侵略戦争を遂行しようとした国家的権力」が構えた大きな罠の中に、すっぽりとはめられていたという気がするんだ。



井上:……… 完全に自由を奪われ、一日に何人もの兵士と寝なければならない境遇におとしいれられた従軍慰安婦たちは、たしかに性的奴隷と言えるだろう。しかし、奴隷というからには、それをこき使った主人というものがなければならない。それは慰安婦と寝た俺たち兵士なのか。俺たちが彼女たちを奴隷にしていたのか。そんなはずはない。俺たち兵士も国家権力により強制的に戦場に引っ張り出され、一切の自由を奪われ、命懸けで敵軍と交戦させられた奴隷兵士ではなかったのか。いずれにせよ、この「性的奴隷」という言葉は、慰安婦と一度でも寝たことがある者にとって、強烈な響きを持って迫ってくる。………



滝口:井上よ、そんなに自分を責めることはないぞ。詩も残しておけ。お前が抱いた女はお前にとって決して「性的奴隷」なんてものじゃなかった。ましてお前は「強姦」なんかしたのじゃない。戦争に行ったこともなければ、従軍慰安婦の姿を一度も見たこともない研究者の書くことなんか、俺たちは気にする必要がないと思うんだ。研究者と俺たちの認識の間にも、埋めがたい落差があるのだ。(強調:田中)



ここには「慰安婦」を自分たちの「慰み者」にしたという罪意識が一方でありながら、しかし、結局は自分たちも彼女たちと同様に「戦争奴隷」という犠牲者だったのだ、という一種の怨念がある。そのため、彼女たちへのある種の責任を感じながらも、自分たちは決して「性的奴隷」の主人としての責任などはないのだと責任逃れしたい気持ちとの間での激しい葛藤に、井上も滝口も悩まされ続ける。そして最後には、「戦争体験もない戦後生まれの研究者になにが分かるか」と叫ぶことで、自分たちの議論を終わらせている。



この批判には、「慰安婦」問題で著書のある、戦後生まれの研究者の一人である私としては、答えようがないというのが正直な思いである。加害と被害の心理的な重層性=複雑さの厳しい実相をまざまざと教えられるメール交信記録である。当事者ではない私には、確かに、井上や滝口を批判する資格もないし、批判しようとも思わない。むしろ、満州に出兵させられた関東軍中尉であった父をもつ私としては、父の世代のこのような「戦争加害と被害の複雑な重層性」の実相をできるだけ深く知った上で、「戦後生まれ」の私としての責任は何か、ということを考えること。そして、その「戦後責任」(実は、私は「戦後」という言葉を使うことにひじょうな違和感があるのだが、このことについては別の機会に説明したい)をいかに自分は果たすべきか、ということに思考と行動を集中させることが、井上や滝口に対する「答え」であるとしか言えないのである。



この著書は、戦争体験を強いられた一人の日本人兵士が、いかなる精神的葛藤を舐めさせられたかを知り、その知識を、近い将来、自衛隊員が戦争に送り出されるならば必ずや経験させられるであろう精神的葛藤について想像して見る上で、ひじょうに貴重なエッセー集だと私は思う。



最後に、この著書の冒頭に井上が載せた「日中戦争で戦死した大阪生まれの英霊の声:今は亡き昭和天皇が、臨終の床にあった時に作れる歌」からの抜粋を紹介して、この感想文を終えることにする。





先日来、天皇陛下が重態に陥られ、八十七歳の玉体のなかに、あろうことか、おびただしい人民の血潮をながしこみ、体内の血液が全部入れ替わってしまうという、医学上、例をみない奇怪千万な治療をお受けになりながら、いくばくもない余命にひたすらすがりついておられるということも、よう存じております。

ああ、これが、わいら兵士に「義は山嶽よりも重く、死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ」、つまり「お前たち兵士は桜の花びらのように潔く散れ」と論された天皇の、最後のお姿なのでおますか。なぜ、

「わたしはもう輸血はいらない。貴重な血液をどうか人民のいのちを救うためにつかってほしい」

と仰せにならないのでおます。

わいらのように、一滴の輸血もうけられずに戦場で散りはてた者からみて、陛下のお姿はまことに浅ましい限りでおます。





合掌