2016年12月30日金曜日

「真珠湾訪問にあたっての安倍首相への公開質問状」に私が署名しなかった理由


- アメリカの学者や知識人にも求められる自国の「過去の克服」認識 
近日中に、この論考の英語版を作成する予定です。

「日米軍事同盟」に対する批判を欠いた質問状
2016年12月25日、オリバー・ストーン監督をはじめ米日両国やその他の国の学者、有識者53名が賛同する、「真珠湾訪問に際し安倍首相の歴史認識を問う」という安倍晋三に対する質問状が公表された。まず、その全文を下に紹介しておく。

親愛なる安倍首相、
安倍首相は先日、1941128日(日本時間)に日本海軍が米国の海軍基地を攻撃した際の「犠牲者を慰霊する」目的で、12月末にハワイの真珠湾を訪問する計画を発表しました。
実際のところ、その日に日本が攻撃した場所は真珠湾だけではありませんでした。その約1時間前には日本陸軍はマレー半島の北東沿岸を攻撃、同日にはアジア太平洋地域の他の幾つかの英米の植民地や基地を攻撃しています。日本は、中国に対する侵略戦争を続行するために不可欠な石油や他の資源を東南アジアに求めてこれらの攻撃を開始したのです。
米日の開戦の場所をあなたが公式に訪問するのが初めてであることからも、私たちは以下の質問をしたく思います。

1)
あなたは、1994年末に、日本の侵略戦争を反省する国会決議に対抗する目的で結成された「終戦五十周年議員連盟」の事務局長代理を務めていました。その結成趣意書には、日本の200万余の戦没者が「日本の自存自衛とアジアの平和」のために命を捧げたとあります。この連盟の1995413日の運動方針では、終戦50周年を記念する国会決議に謝罪や不戦の誓いを入れることを拒否しています。199568日の声明では、与党の決議案が「侵略的行為」や「植民地支配」を認めていることから賛成できないと表明しています。安倍首相、あなたは今でもこの戦争についてこのような認識をお持ちですか。
2) 2013
423日の国会答弁では、首相として「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と答弁しています。ということは、あなたは、連合国およびアジア太平洋諸国に対する戦争と、すでに続行していた対中戦争を侵略戦争とは認めないということでしょうか。
3)
あなたは、真珠湾攻撃で亡くなった約2400人の米国人の「慰霊」のために訪問するということです。それなら、中国や、朝鮮半島、他のアジア太平洋諸国、他の連合国における数千万にも上る戦争被害者の「慰霊」にも行く予定はありますか。

首相としてあなたは、憲法9条を再解釈あるいは改定して自衛隊に海外のどこでも戦争ができるようにすることを推進してきました。これがアジア太平洋戦争において日本に被害を受けた国々にどのような合図として映るのか、考えてみてください。

この質問状の質問内容それ自体については、なんら問題はなく、きわめて正当な質問であると私も思う。しかし、今回の安倍・オバマの真珠湾訪問の核心的な意味が「日米軍事同盟」の再確認と強化にあるという観点から見るならば、この質問状はひじょうに問題があると私は考える。実は、私も、この質問状に名前を連ねるように頼まれたが、質問状の内容を目にして、「私は、日米両国の戦争責任を同時に問題にしなければ、日米同盟の根本的な問題(両国の戦争責任放棄の相互了解)の指摘にはならないと常に考えています」と述べ、いくつかの質問事項を追加することを提案した。しかし、私の提案は受け入れられなかったので、私としてはこの「質問状」に賛同人として自分の名前を連ねることはできないと思い、参加をすることを断った。

真珠湾訪問の「政治利用の意味」を問わない質問状
以下、なぜ私がこの質問状の内容にそこまでこだわるのかについて、もう少し詳しく説明しておきたい。

この「質問状」は、あくまでも安倍個人にのみに向けられている。しかし、すでに述べたように、日本国首相とアメリカ大統領2人揃っての真珠湾訪問の目的は、あらためて言うまでもなく「日米軍事同盟」の再確認と強化であった。したがって、私たちがここで批判の対象としなければならないのは、安倍個人の貧弱な歴史観(というよりは歴史観の欠如)の批判にとどまらず、日本が犯した「侵略戦争」という歴史事実を否定し、したがってその「戦争責任」をも徹底的に否定するような人物である日本国の首相が、これまた原爆無差別大量殺戮という由々しい戦争犯罪を犯した事実とその国家責任を否定するアメリカ大統領と一緒に、75年前の日本軍による真珠湾攻撃による犠牲者を慰霊したという事実の核心にある問題である。つまり、「日米軍事同盟」そのものが内在させている重大な問題を抉り出し、いったいこの「同盟」関係の本質は何であるのかを批判的に検討しなければならない。このことは、単なる一面的な安倍の個人批判だけで、できることではない。できないどころか、このような質問状では、問題を安倍という妄言虚言を使いまくる一政治家の問題に矮小化させてしまうことで、事の本質から目をはぐらかせてしまう。

周知のように、日本国首相として真珠湾を訪問したのは安倍が初めてではなく、吉田茂は1951年9月、鳩山一郎は56年10月、安倍の祖父である岸信介は57年10月に真珠湾を訪れている。攻撃で沈没した戦艦の真上にある慰霊施設「アリゾナ記念館」は1962年に建てられたので、当時はまだなかった。したがって、彼らは真珠湾近くにある国立太平洋記念墓地で戦没者の慰霊を行っており、その際、鳩山や岸は「礼砲の歓迎」を受けている。吉田が真珠湾を訪れたのは、サンフランシスコ平和条約と日米安保条約の署名を終え帰国途中のハワイ滞在中であった。岸が真珠湾を訪れたのは、1957年2月に首相になったばかりの彼が、ワシントンでの首脳会談で日米安保条約改定の検討をアイゼンハワー政権に約束させた直後のことであり、いわばその返礼とも称せる行動であった。このように、日本国首相の真珠湾訪問は、日米安保体制の確認・強化と常に密接に絡まっている、極めて政治的なパフォーマンスとして行われてきたのである。(鳩山の場合は、日ソ国交回復を成し遂げ政界引退する直前の言わば「花道旅行」であったが、それでも日米関係強化のためのパフォーマンスという意味が込められていたことは明らかである。)今回の安倍の真珠湾訪問の目的も、明らかに、彼が主張する「和解と平和」のセレモニーを真珠湾という太平洋戦争を象徴する一大遺跡でやることで、日米両国での彼の人気を一挙に押し上げ、日米軍事同盟をさらに強化し、憲法九条廃止という彼の政治目的を達成するための動きをさらに推進しようというものであった。あらためて言うまでもないことだが、米国政府もそれを明らかに承知し、安倍を援護するために、このセレモニー案を受け入れたのである。

戦争犠牲者を徹底的に日米両国が政治的に利用する、その政治的パフォーマンスがもつ意味を全く問わずに、安倍の劣悪なアジア太平洋戦争史観だけを批判しても、なんら問題の核心を突く問いにはならない。問題は、安倍のみならず、吉田、鳩山、岸の誰もが、それどころか戦後の歴代首相の誰一人として、例えば中国や韓国、シンガポールに、それぞれの国の戦争犠牲者を慰霊し、謝罪するために訪れたことがないという事実である。したがって、質問状の内容は、それはなぜなのか、その理由を質問状を読むものに考えさせるようなものでなくてはならなかったはずである。そのような決定的に重要な問題に対する周到な配慮が、この質問状からはすっぽり抜け落ちている。

 
「罪」と「責任」の否認の日米相互確認としてのセレモニー
安倍とオバマによる、今回のこの真珠湾での戦争犠牲者慰霊という政治セレモニーは、言うまでもなく、2016年5月のオバマ大統領による広島訪問に対する答礼として行われたものである。そのオバマは、謝罪なき広島訪問でのスピーチで、原爆無差別大量殺戮の自国の罪と責任には一切触れず、人類全てに責任があると主張した。このことについて、私は拙論「罪と責任:ハンナ・アレントの目で見るオバマ大統領の謝罪なき広島訪問」の中で次のように述べておいた(2016年9月10日のブログ、英語版は同年9月14日)。

 人類全てに「罪」があるならば、誰にも「罪」はないということになり、よってその「責任」も誰もとらなくてもよいということになる。これは、1945年8月15日に日本が敗戦した折に日本政府が唱えた「一億総懺悔」と全く同じマヤカシ論法である。敗戦(「侵略戦争」ではない)には国民全員に責任があるという「一億総懺悔」を国民に強いることで、日本帝国陸海軍大元帥である裕仁と軍指導者、政治家、高級官僚たちが無数の自国民とアジア人を殺傷したその「罪」と「責任」が、結局はウヤムヤにされしまった。安倍晋三は、このマヤカシ論法すらとらず、日本軍による侵略戦争とアジア太平洋各地で犯した様々な戦争犯罪という「罪」そのものがあたかも最初から存在しなかったような虚偽論法で、「罪」と「責任」問題を否定している。
 このような安部にとっては、米国大統領が広島で自国の原爆無差別殺戮の「罪」と「責任」を「人類全般」に負わせてウヤムヤにすることは、安部が自国の「罪」と「責任」問題の存在そのものを否認することに米国が暗黙のうちに共感し、支持していることを意味していた。オバマと安部の二人が広島の平和公園に並んで立ったことは、まさに、日米両国の「罪」と「責任」の否認を相互に認め合う儀式であったのだ。この儀式のために、「ヒロシマ」という場所と「被爆者」という戦争被害者が政治的に利用されたのである。そして「罪」と「責任」の否認の日米相互確認は、もちろん米国の「核抑止力体制」と日米軍事同盟の相互確認と表裏一体となっているものであった

自国が犯した重大な戦争犯罪の罪も責任も問わずに、ただ犠牲者の慰霊を行うというパフォーマンスで、あたかも強く平和を祈念しているかごとくの印象を相手の国民のみならず自国民にも与えるという政治的な欺瞞行為は、自国の罪と責任を隠蔽こそすれ、決して明らかにはしない。真の和解と平和は、加害者が自己の罪と責任を明確且つ真摯に認め、被害者に謝罪し、被害者から赦しを受けることによって初めてもたらされる。これを戦争被害国に対してやらない日本だから、いつまでたってもアジア諸国から信頼されないのである。このことを私たちは忘れてはならない。同じことが、アメリカにも言えるのである。

したがって、オバマの広島訪問とその答礼としての安倍の真珠湾訪問の目的の一つは、日米軍事同盟の原点にある、日米両国による、それぞれの国が犯した戦争犯罪の「罪」と「責任」の否認の日米相互確認であるという事実を、我々はもう一度ここで深く考えてみなければならない。両国が犯した戦争犯罪の「罪」と「責任」の否認の相互確認が、日米軍事同盟の原点であることについて、私は最近の拙論「原爆と天皇制」で詳しく述べておいたが(2016年12月17日のブログ)、要点だけをもう一度ごく簡単に述べておきたい。

日米軍事同盟の原点としての日米両国による「原爆」正当化
米国は、アジア太平洋戦争を終わらせるためには戦略的には全く必要でなかった原爆を、もっぱらソ連の対日戦争開始を避けるためという政治的目的の理由から、日本に対して使うことを計画。そのため、原爆が完成するまで日本が降伏しないような画策、すなわち日本が自ら米国の原爆使用を誘引させるような画策をトルーマン政権は企て実行した。一方、天皇裕仁と日本帝国陸海軍ならびに日本政府指導者たちは、降伏条件として「国体護持」にあくまでもこだわり、「国体護持」を確実にするために降伏を先延ばしにしたことで、米国による広島・長崎への原爆攻撃を誘引させた。かくして、原爆無差別大量虐殺の責任は、米国の「招爆画策責任」と日本の「「招爆責任」の複合的責任に求められる。ところが、戦後、米国は戦争を終わらせるには原爆が必要であったという原爆使用正当化の神話を打ち立てて、「招爆画策」と20万人以上に上る無差別市民大量殺戮の犯罪性と責任を隠蔽した。他方、日本側は、原爆によってもたらされた戦争終結によって、一部の軍人に利用された「国体=天皇」から、本来あるべき姿である「平和の象徴的権威」としての「立憲主義的天皇」を取り戻し、維持していくのだという詭弁を弄することで、裕仁と日本政府の「招爆責任」と自分たちがアジア太平洋各地で犯した様々な戦争責任を基本的にはうやむやにしてしまった。畢竟、日米双方が、それぞれの思惑に沿って、原爆が持つ強大な破壊力、殺傷力の魔力を政治的に利用し、その双方の政治的利用方法を互いに暗黙のうちに受け入れて、「ポツダム宣言受諾」となった。「戦後」という時代は、したがって、「原爆」をめぐっての互いの重大な戦争責任の放棄相互了解を出発点にしていたのである。

この「戦争責任放棄の相互了解」を基礎に、日米安保条約が結ばれ、日本政府は、アメリカの核兵器大量殺戮の欺瞞的正当化を受け入れ、同時に「戦争終結の理由」としてそれを政治的に利用しただけではなく、その後も現在に至るまで米国の核戦略を支持してきた。その上で、いわゆる「核の平和利用」=原発推進政策をがむしゃらに維持し、事実上は米国の核兵器保有と「核による威嚇」を支持するのみどころか、米国にそうした核利用の持続を要望しているのが現状である。他方、米国側は、日本帝国陸海軍大元帥であった裕仁の戦争責任を不問にした。それどころか、日本政府と共謀で「裕仁は平和主義者」という神話を作り上げ、彼の戦争責任を日本側が隠蔽することに積極的に加担し、天皇制を存続させて、それを日本占領政策に、さらには占領終了後の日米安保体制下での日本支配のために利用し続けてきた。米国によるこうした裕仁の政治的利用が、ごく一握りの数の日本帝国陸海軍指導者ならびに戦時政治指導者だけを戦争犯罪人として東京裁判で裁くことで、彼らにのみ戦争責任を負わせたことと密接に関連していたことはあらためて詳しく説明するまでもないであろう。

こうした日米両政府による共同謀議の画策ゆえ、大多数の日本人はアジアに対する確固たる「戦争責任」意識を持つどころか、自分たちをもっぱら「戦争犠牲者」と見なし、しかしながら、同時に米国による自分たちへの戦争加害の責任も問わないという、「戦争責任」自覚不能の状態にある。すなわち、これまで、自分たち自身が被害者となった米国の原爆殺戮犯罪の加害責任を厳しく問うことをしてこなかったゆえに、我々日本人がアジア太平洋各地の民衆に対して犯した様々な残虐な戦争犯罪の加害責任も厳しく追及しない。自分たちの加害責任と真剣に向き合わないため、米国が自分たちに対して犯した由々しい戦争犯罪の加害責任についても追及することができないという、二重に無責任な姿勢の悪循環を産み出し続けてきた。それゆえにこそ、米国の軍事支配には奴隷的に従属する一方で、アジア諸国からは信頼されないため、いつまでたっても平和で友好的な国際関係を築けない情けない国となっている。つまり、一般の日本人に現在も広く見られるこの極めて偏った「被害者偏向歴史認識」、と言うよりは正確には「歴史認識の欠如」は、このように、日米共同謀議の結果であって、日本人が、あるいは日本政府が独自に作り出したものではないことをはっきりとここで再確認しておく必要がある。したがって、我々は、この二重の意味での「過去の総括」をしない限り、真の意味での「過去の克服」を成し遂げることはできないのである

安倍に対する今回の質問状には、この「日米共同謀議」という視点、とりわけ共同謀議での米国側の責任に対する批判的視点が決定的に欠落しているのである。再度述べておくが、その意味で、安倍の個人的歴史観だけを問いただすだけの質問状は、あまりにも一面的で希薄な内容である。

「日米共同謀議」を鋭く指摘する質問事項の必要性
戦後の「日米共同謀議」について、もう少し議論をすすめてみよう。戦前・戦中は天皇制に奴隷的と言っても過言ではないほど精神的に自分たちを従属させていた日本人(とりわけその天皇制の中で大いに権益を享受していた軍人、政治家、官僚たち)は、敗戦を迎えるや、今度は「自由と民主主義」を持ち込んだ米国に、核武装力という超巨大暴力を背景としたその「自由と民主主義」の本質をなんら真剣に問うこともなく、この日米共同謀議によって作り上げられた「被害者偏向歴史認識」と「象徴天皇制に基づく民主主義」という「新社会体制」を喜んで受け入れ、天皇制は基本的にはそのまま維持しながら、天皇の代わりに今度は米国に奴隷的に追従することになんら自己矛盾を感じないという変身の素早さをみせた。この変身にこそ、「原爆無差別虐殺正当化」と「天皇免責」の両方を全面的に受け入れることが必須条件であった。そのような変身を遂げた代表的な人物の一人が、安倍晋三の祖父、岸信介であったが、岸の場合は、「天皇免責」どころか、「自己の戦犯免責」という驚くべき変身を同時に成し遂げた政治家である。

岸信介の経歴についてはすでによく知られているところなので、詳しくは書かないが、ごく簡単に紹介しておこう。皇帝溥儀を名目上の「主権者」とする日本の傀儡政権である満州国の行政機関、国務院の実業部総務司長として、岸は、1936年10月に満州に渡った。37年7月には産業部次長、39年3月には総務庁次長となり、事実上、満州国運営の実権を握った。その間に、「戦争準備ノ為満州国ニ於ケル産業ノ飛躍的発展ヲ要望ス」という関東軍参謀部の方針に沿って作られた産業5カ年計画の立案と実行に、岸は深く関わった。すなわち、満州国の軍需用工業を発展させることで満州を日本帝国主義の重要な戦略基地にすることに、岸は決定的に重要な役割を果たしたのである。戦争終了後に岸がA級戦犯容疑にかけられた理由の一つは、この産業5カ年計画の立案に関わることで「侵略戦争の準備」に貢献したことであった。岸はまた、満州での自分の地位を利用して巨額の政治資金を東条英機に提供したとも言われている。東条とのそのような緊密な関係から、1941年10月には東条内閣の商工大臣のポストに就き、43年11月に軍需省が新たに設置され東条が軍需大臣を兼務すると、岸がその次官兼国務大臣となり、産業経済の全ての分野で総力戦体制を確立強化させていく様々な政策の立案と実施でも手腕を発揮した。

このように、アジア太平洋戦争で重要な役割を果たした岸がA級戦犯容疑者として逮捕されたのは、したがって決して不思議なことではなかった。ところが、日本を共産圏に対するアジアの防御壁とするという米国の政策変更に沿って、米国は岸を1948年末に不起訴のまま無罪放免にした。それどころか、岸が首相になるや、岸の弟で大蔵大臣である佐藤栄作の「共産主義と戦うための資金援助依頼」に応えて、米国政府はCIA秘密資金を提供するということまでやっている。その岸や佐藤は、周知のように、日本への核兵器持ち込みを認める密約を米国と結んだ。これを「日米共同謀議」と称さなければ、いったい何と呼べばよいのであろうか。

したがって、今回のような質問状を作成するのであれば、「日米共同謀議」におけるこうした米国側の責任を鋭く指摘する質問事項も含むべきだったのである。例えば、以下のようなオバマに対する質問も含めるべきだったのだ。

*安倍首相の祖父である岸信介氏は、戦後間もなく「侵略戦争の罪」の戦犯容疑者として逮捕されました。ところが、米国は、日本を共産圏に対するアジアの防御壁とするという政策変更に沿って、岸氏を1948年末に不起訴のまま無罪放免にしました。このことについて、アメリカ大統領である貴方はどのように考えますか。

*岸信介氏が首相の時代、彼の弟で大蔵大臣である佐藤栄作氏の「共産主義と戦うための資金援助依頼」に応えて、貴方の国の政府はCIA秘密資金を提供しました。このことについて、CIAの活動についても熟知しておられるはずである現職のアメリカ大統領として、あなたはどのように思われますか。

*安倍首相の大叔父である佐藤栄作氏は、首相時代に「非核三原則」なる政策を導入しました。彼は、後年、そのことでノーベル平和賞を授与されました。ところが、その裏で、日本国民には全く知らせずに、沖縄への核兵器持ち込みを認める密約を米国政府と結んでいました。この事実について、やはりノーベル平和賞を授与された米国大統領として貴方は、どのように思われますか。

*長年の間、安倍氏は、アジア太平洋戦争中に日本が犯した様々な残虐行為は無かったと主張し、そうした歴史事実についても、またそれに対する日本の戦争責任の所在についても否定しています。しかし、貴方もまた、広島平和公園で行われたスピーチで、原爆無差別大量殺戮に対する米国の「罪と責任」を明確に認めることを拒否されました。さらには、日本訪問の直前に訪問されたベトナムでも、貴方はベトナム戦争時代に米軍が北ベトナムに対して行った、「枯れ葉剤」散布を含む無差別爆撃の「罪と責任」については一言も触れられませんでした。その点で、私たちは、安倍氏と貴方には、倫理観で共通した深刻な問題があると考えています。こうした批判に、貴方はどのように応えられますか。

*長年、沖縄や岩国の市民は、大規模な米軍基地を地元に抱えて暮らしています。特に辺野古の新基地建設やオスプレイ飛行訓練に対しては大きな不安をおぼえ、現在、強い反対運動を展開しています。これに対して安倍政権は、強権的な圧力で市民の声を押しつぶそうとしています。米軍の最高司令官である大統領の貴方は、こうした沖縄や岩国市民の苦しみについて、どのように感じておられますか。

結論
実は、2015年5月、アメリカの日本研究者グループが、彼らが中心となって作成した「慰安婦問題」での安倍批判の書簡を公表した。その書簡の草稿作成段階でも、私は賛同者となるように誘われた。このときも私は、日本人の戦争責任感の欠如は、米国の原爆無差別大量殺戮の正当化の問題と密接に絡んでいるという事実を指摘し、米国市民にも、日本の戦争責任との相互関連の中で自分たちの戦争責任を考えてもらえるような内容の書簡にするという修正提案を出した。しかし、このときも私の提案は拒否された。こうした繰り返しの経験から、私は、アメリカの知識人、とりわけ、日本研究を専門としている学者には(その中には私の友人もたくさんいるが)、自国の「歴史克服」という点で、多くの日本人と共通した欠陥があることに気がついた。したがって、私は、「歴史の克服」の重要性をひじょうに明晰に私たちに説いたテオドール・アドルノの次の言葉を、「質問状」作成に関わった人たちにはもちろん、署名した人たちにも送ることで、この論考の結びとしたい。

忘却というものは、いともたやすく忘却された出来事の正当化と手を結ぶ。

この「出来事」には、他国(日本)の出来事だけではなく、自国(米国)の出来事も含まれていることを肝に銘じてもらいたい。

田中利幸

2016年12月17日土曜日

原爆と天皇制


-戦後民主主義再検討のための歴史克服的試論

11月25日に東京・中野でさせていただいた講演「原爆無差別攻撃の犯罪性と責任問題 - その徹底的追求が今必要な理由 」は、『広島ジャーナリスト』最新号に掲載された拙論を基にしたものでした。

この論考の主たる論点は以下の4点です。
1)原爆無差別大量殺戮という重大な戦争犯罪に対する責任は、当時のアメリカ政府(トルーマン政権)による「招爆画策責任」と、日本軍事政権(とくに天皇裕仁と大本営)による「招爆責任」の複合的な責任問題である。
2)いわゆる「終戦の詔勅」(=ポツダム宣言受諾宣言)は、原爆被害を政治的に利用することで裕仁の「招爆責任」と「アジアに対する戦争責任」を隠蔽し、「国体」を維持するための「新国体維持宣言」であった。
3)日本の「戦後民主主義」は、アメリカの「招爆画策責任」と日本(とくに裕仁)の「招爆責任」+「戦争責任」をそれぞれ隠蔽し、隠蔽することによって互いの「重大な戦争責任の放棄相互了解」を出発点としていること。
4)戦後の「象徴天皇制」は戦前・戦中の天皇制と根本的に継続しており、この天皇制の問題を含む戦後日本社会の様々な矛盾は、上記の日米両国による「重大な戦争責任の放棄相互了解」という共同謀議にその原点があること。

つまり、現在の「日本民主主義」を再検討するためには、この原爆無差別大量殺戮に対する責任問題を、もう一度、厳密に再検討してみる必要があるというのが私の考えの趣旨です。換言すれば、この問題を再検討することなくして、戦後民主主義の再検討を十分に行うことはできないと私は考えています。

少々長い論考ですが、ご笑覧、ご批評いただければ光栄です(さらに長くなることを避けるため、脚注は省略しました)。下記アドレスからダウンロードできるはずです。

ちなみに、この拙論の原稿に目を通していただいた反天皇制運動連絡会の天野恵一氏から、ひじょうに有意義なコメントと激励の言葉をいただいたことを記して深く感謝します。しかし、もちろん、文章責任はあくまでもすべて私自身にあることは言うまでもありません。また、拙論と基本的には関連していますが、最近話題になっている「天皇の生前退位」に関する論考としては、ピープルズ・プラン研究所の武藤一羊氏のものが傑出していると私は思います。私も武藤氏のこの労作からおおいに刺激を受けました。武藤氏のこの論考は下記アドレスで読めます。

なお、11月の私の2週間という短い一時帰国は、極めて私的な用事のためであったため、みなさんにお会いする時間もなく、たいへん失礼しました。勝手な旅行スケジュールにもかかわらず、講演会を準備していただいたABC 企画委員会をはじめ、協賛していただいた「被ばくの歴史平和学市民コンソーシアム」、「重慶大爆の被害者と連する会東京」、「NPO連平和記念館」、「アメリカの原爆投下責任を問う会」のみなさんにあらためてお礼を申しあげます。

田中利幸


2016年12月12日月曜日

2016 End of Year Message


2016年末メッセージ(日本語版は英語版の後をご覧ください)

This year, yet again, numerous people in the world have become victims of armed conflict and terrorist attacks. According to a recent UNICEF report, 535 million children - nearly a quarter of the world’s children - now live in countries stricken by war or natural catastrophe. Among them 50 million children have been displaced, with more than half of them driven from their homes by conflict.
There is no doubt that in recent years the world situation has continuously worsened, creating more and more casualties of armed violence. To tackle such disheartening developments in world events, we have no choice but to strengthen our civil movements against all forms of violence.
As the end-of-year festive season is quickly approaching, I would like to share with readers my blog - a quiet moment to contemplate war and peace, listening to a few pieces of fine music. I have selected the following three pieces. To me, they all sound truly exquisite and moving yet at the same time deeply sad.

I) “Benedictus” from Armed Man: A Mass for Peace by Karl Jenkins
A Welsh composer Karl Jenkins composed this Mass in 1999 and dedicated it to victims of the Kosovo crisis.

Benedictus qui venit in nomine Domini
(Blessed is he who comes in the name of the Lord)  
Hosanna in excelsis
(Hosanna in the highest, in the highest)
      
This same piece of beautiful music is played by two cellists, Stjepan Hauser (Croatian) and Luka Sulic (Slovenian), who formed the duo called “2Cellos” in 2012.

II) “Agnus Dei” by Samuel Barber
In 1967 Samuel Barber (1910 – 1981), an American composer, arranged his own work Adajo for Strings, initially written in 1936, as a choral composition. 

Agnus Dei, qui tollis peccata mundi,
(Lamb of God, who takes away the sins of the world,)
miserere nobis.
(have mercy upon us.)
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi,
(Lamb of God, who takes away the sins of the world,)
dona nobis pacem.
(grant us peace.)
  

III) “手向 Tamuke”
This is a classic piece of shakuhachi (Japanese bamboo flute) music. It is unknown when and by whom it was composed. However, it is presumed that the composer was a Buddhist monk of the Fuke (Zen) sect who wrote it several hundred years ago as a tribute to the memory of the deceased. “手向 Tamuke” literally means an offering.   

With best wishes for a peaceful Christmas and a Happy New Year.
Yuki Tanaka 

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2016年末メッセージ

 今年もまた、世界のいたるところで無数の人たちが武力紛争とテロ攻撃の犠牲者となりました。ユニセフのごく最近の報告によると、5億3千5百万人という数の子供、つまり世界中の子供の4分の1にあたる数の子供たちが、戦争または自然災害で破壊的影響を受けている国に暮らしています。そのうち、5千万人が家を失った子供たちですが、そのまた半分以上は武力紛争のために故郷を追われた子供たちです。
 近年、世界状況はますます悪化しており、武装暴力の犠牲者の数は増加の一方です。私たちとしては、こうした痛ましい世界状況に対抗するためには、いかなる暴力、いかなる正義に反する行為にも強く反対する市民運動を強化していく以外に方法はありません。
 年末年始の祝祭気分が高まるこの時期ですが、戦争と平和に関して思索をめぐらす静かな時間を少しでも皆さんと共有できればと願い、幾つかの美しい音楽曲を紹介させていただきます。選んだ曲は3つで、いずれも本当に優美で感動的な曲ですが、同時にひじょうにもの哀しいメロディーだと、私は聴くたびに感じている曲です。

I) カール・ジェンキンス作曲『武装した男:平和のためのミサ曲』の第12楽章「ベネディクトゥス」 。ウェールズ出身のジェンキンスは、1999年に作曲したこのミサ曲をコソボ紛争の犠牲者に捧げました。

歌詞
Benedictus qui venit in nomine Domini,
(ほむべきかな、主の名によりて来たる者)  
Hosanna in excelsis.
 (天のいと高きところに 救いたまえ
)
     
同じ曲を、若いクロアチアとスロベニア出身の2人のチェロ奏者が2012年に結成したデュオ、「2チェロズ」が奏でています。すばらしく哀しく美しい演奏です(ハンカチかティシューを用意してから聴かれることをお勧めします)。

II) サミエル・バーバー作曲「アニュス・デイ 平和の賛歌」
これは、アメリカの作曲家バーバー(1910〜1981)が、1936年に自分が作曲した「アダージョ弦楽曲」を、1967年にコーラス曲に編曲したものです。

歌詞
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi,
(神の小羊、世の罪を除きたもう主よ <「神の小羊」とはイエス・キリストのことです>)
miserere nobis.
(我らをあわれみたまえ)
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi,
(神の小羊、世の罪を除きたもう主よ)
dona nobis pacem.
(我らに平安を与えたまえ)
  

III) 手向(たむけ)
この曲は尺八古典本曲の一つですが、誰がいつ作曲したかは不明です。おそらく、普化宗(禅宗の一派で、尺八を吹いて瞑想<吹禅>する宗派)の僧が数百年前に作曲したものと思われます。仏、つまり亡くなられた人の霊に捧げるために吹かれる尺八曲です。「手向」とは、言うまでもなく「たむける=捧げる」という意味です。

平穏なクリスマスと幸多き新年を迎えられますよう

田中(鳳山)利幸

2016年11月14日月曜日

講演案内


「原爆」無差別爆撃犯罪性責任問題

その徹底的追求が今必要な理由 ―    

       194586日と9日の原爆による21万人(内4万人は韓国・朝鮮人)にのぼる広島・長崎市民の無差別大量殺戮は、もっぱら、ソ連に対して核兵器の破壊力を誇示するという政治的理由のためにアメリカ政府が行った、戦略的には全く必要のない由々しい戦争犯罪行為でした。
ところが、今も大部分のアメリカ市民(そして一部の日本人)の間では、「戦争を終結させる ために必要であった」という神話が信じられています。この神話を打ち破り、その犯罪性と責任を徹底的に追求することが、なぜ現在の日本の民主主義の再検討、とりわけ、様々な反民主主義的政策を打ち出している安倍政権を打倒するためには必要なのか、その理由と歴史的背景について議論します。

講師:田中利幸(歴史学者 元広島平和研究所教授)

   西オーストラリア大学にて博士号取得。メルボルン大学で政治経済学を、敬和学園大学で日本近代史を教える。20024月から20153月まで広島市立大学広島平和研究所教授。現在、メルボルンを拠点に歴史評論家として執筆、講演、平和運動に携わる。

 今年、527日のオバマ大統領広島訪問に際し、日米双方が戦争責任を取ろうとしない謝罪無き訪問は核兵器を容認こそすれ被爆者の核廃絶の願いからは遠のくばかりだと厳しく批判し、オバマ大統領の原爆謝罪と、安倍首相のアジアへの旧日本軍残虐行為の謝罪、双方を要求する全国運動を展開した。




1125日(金)午後6時半~845分 615分開場)

会場:中野区産業振興センター 3階・大会議室

   JR中野駅南口より徒歩5分 (0333806941

参加費:800
 主催:ABC企画委員会
 〒187-0045 小平市学園西町12215-101

 電話/FAX:0423481127 (08056553354

2016年11月12日土曜日

アメリカ選挙結果


RESULT OF THE AMERICAN ELECTION

 
マイケル・ルーニッグの風刺画をもっと見たい方は
More work by Michael Leunig

2016年11月6日日曜日

「四國五郎追悼・回顧展」と「シドニー・海辺の彫刻展」


先月5日から11日まで広島市内で「四國五郎追悼・回顧展」が開かれました。残念ながら私は鑑賞することができませんでしたが、大成功だった様子を、展覧会を企画された池田正彦氏が書かれていますので、ご本人の承諾を得てここにご紹介します。(なお、この報告は『詩人会議』の来年1月号に掲載予定とのことです。)また同じく先月の20日から11月5日まで、オーストラリアのシドニーの有名な浜辺ボンダイ・ビーチで「海辺の彫刻展」が開かれました。幸いにして、開会式に妻と一緒に出席する機会がありましたので、簡単ながら報告します。


四國五郎追悼・回顧展
四國五郎の創作の原点に迫る

池田正彦(広島文学資料保全の会・事務局長)

 四國五郎追悼・回顧展は、広島市内での開催は四度目。
今回は、反戦・平和を訴えつづけた氏の原点に迫る展示に心がけた。(10月5日~11日 県民文化センター)
 20歳で徴集されてシベリア抑留を体験。一九四八年に帰還し、一緒に絵を描こうと誓い合った最愛の弟の無惨な被爆死を、残された死の直前まで書かれた日記によって知る。(弟・直登さんの日記と氏の解説文をパネル展示)
 直登さんの日記、八月六日の冒頭は「廣島大空襲さる 記憶せよ」(中略)「左の足が焼けつくように熱い。左の足の裏をみれば木材でブチ割られてどくどくと血潮を吹き出している」と、逃げまどう様子を生々しく記録している。(しかし日記は八月二七日でぷつんと切れる)
 その衝撃は、絵と詩・エッセイで反戦・平和を訴える信念として、戦後を出発させた。
 その一つは、峠三吉等との協働で「原爆詩集」や「辻詩」などの活動を展開。官憲の目をくぐりぬけながら逮捕を覚悟しての行動だった。
 第二は、一九九四年NHKが募集した「市民が描いた原爆の絵」において、番組出演など先導的役割を担った。それは、弟・直登さんの無念さを背負った表現者としての責務ととらえたからである。(「私記」とした原稿と、「市民の原爆の絵」などを、パネル展示)
 第三は、高橋昭博氏(元・原爆資料館館長)の体験を基に描かれた証言紙芝居である。年齢的にも体験的にも弟・直登さんをオーバーラップさせ描いた。
 この原画はデジタル化され、「敗北を抱きしめて」の著者であるMITジョン・ダワー名誉教授が開設されたサイトに英語と日本語の解説を加え公開されている。また、ハノーファ市でもドイツ語版の小冊子が制作され、学校などに配布されるなど広く活用されている。
 会期中の10月8日、今夏「ヒロシマを伝える―詩画人・四國五郎」を刊行した永田浩三さん、息子・光さんを招きギャラリートークを行った。当初50人を予定していたが、狭い会場は100人を超える人で埋まり大盛会であった。そこで、息子・光さんは「直接被爆体験のない父が、表現者として反戦・平和を強靭な信念とした父の並々ならぬ覚悟を感じてほしい」と語った。
 四國展の大きな特徴は、美術館とはあまり縁のない、ごく普通の市民の皆さんがたくさん来場されること。アンケートの回収の多さにある。これは市民画家と市井の民とともに生きた四國五郎の誇りうる勲章だと思うのは私だけではないだろう。
 アンケートの内容はさまざまだが、多くは「原爆資料館の中にコーナーを作るべき」「平和美術館を」「常設の施設があるべきだ」等々、ある意味で、そのまま行政への要請書となっている。(アンケートは今回187通、トータルで1000通を超えた)
 アンケートの中には「毎年やってほしい」との要望が散見する。おりしも来年(二〇一七年)は峠三吉生誕百年。「駆け抜けた広島の青春・峠三吉と四國五郎」、並走した二人に焦点をあてた展示会を準備したい。峠三吉・四國五郎の仕事そのものが広島の貴重な文化・記憶遺産である。
永田浩三さんと四国光さんによるトーク・ショウ(大牟田聡氏撮影)
 
シドニー・海辺の彫刻展

 夏は多くの海水浴客で賑わうシドニー市郊外の有名な砂浜、ボンダイ・ビーチの南端から、次の海水浴用砂浜であるタマラマ・ビーチまでの約2キロ弱の距離、ひじょうに風光明媚な海岸の散歩道が続いています。毎年、この海岸線を使って「海辺の彫刻展」が開かれています。今年は、このユニークな彫刻展が始まってから20周年記念の展示会でした。年を経るごとにこの彫刻展は海外でもますます広く知られるようになり、作品展示を希望する彫刻家の数が増えているため、今では、「選考委員会」で選ばれた作品でないと出展できません。今年は17カ国から合計100人ほどの彫刻家の作品が選ばれた。日本からも10名(その内の数名はオーストラリアに移住した人たち)の彫刻家の作品が選ばれました。
 作品は、海岸線沿いの散歩道のすぐそばの岩場あるいは芝生地、そしてタマラマ・ビーチの砂浜に設置されているので、散歩道をゆっくり歩きながら作品を鑑賞できます。天気が良い日は、すばらしい紺碧の海をバックにした作品を楽しむことができます。第1日目の10月20日は、とても良い天候に恵まれたため、学校の先生に引率されてグループで歩いている、小・中学生とみられる子供たちの姿も大勢見られました。通常は美術館の屋内や庭園に置かれている彫刻が、遠くに水平線の見える広大な海辺を背景にして置かれているのを見ると、全く印象が違うので、感動します。
 実は、今年の4月28日に、彫刻家であった私の義母インゲ・キングが百歳で亡くなりました。そのため、「海辺の彫刻展」の組織委員会が、今年の彫刻展をインゲ・キングに捧げるという形にしてくれ、彼女の大型作品2点をメルボルンからシドニーまで運んで特別展示をしてくれるという、とてもありがたいお誘いをいただきました。その上、私の妻(つまり義母の娘)と私の2人も開会式に招かれ、大勢の彫刻家と芸術愛好家たちにお会いする機会を与えられ、とても感謝しています。日本から参加された彫刻家のうち、牛尾啓三、田辺武、平田隆弘、石野耕一(オーストラリア永住)の方達とは個人的にお話を伺う機会もあり、芸術に疎い私もたいへん勉強させていただきました。
なお、下記はこの展示会に関するSydney Morning Herald と朝日新聞に載った記事です。ご参考まで。
Sydney Morning Herald
http://www.smh.com.au/entertainment/art-and-design/sun-rises-on-sculpture-by-the-sea-as-it-celebrates-20th-year-20161019-gs5mb3.html
朝日新聞
http://www.asahi.com/articles/ASJBN3TRNJBNUHBI01M.html?iref=comtop_fbox_u09
 
生前、ケーテ・コルビッツを尊敬し、彼女の作品から多大な影響を受けていた四國五郎さん、同じくケーテ・コルビッツを尊敬し、彼女に直接会って芸術家になるための助言を求めた私の義母(義母はその後間もなくナチス政権下のベルリンを逃れて英国に亡命)、その二人の作品展示がほぼ同じ時期に広島とシドニーで行われました。ケーテ・コルビッツという女性がもたらした影響に、今さらながら感激します。                           

義母インゲ・キングの作品Celestial Rings I


彫刻を鑑賞しながら散策する人たち
私の好きだった作品の一つ イタリア人女性 Silvia Tuccimei の作品 Flower Power
今年の最優秀賞に選ばれた西オーストラリアの彫刻家 Johannes Pannekoek の作品 Change Ahead 2016
現代アートのように見える自然岩
 
義母インゲ・キングの作品 Link III







2016年9月27日火曜日

「天皇は平和主義者」?:後日独白


日本国憲法は平和憲法? - 安倍政権「万民翼賛体制」推進の危険性を考える



 「第九条の会ヒロシマ」会報91号に掲載していただいた拙論「『天皇は平和主義者』? — 71年前にもあった話のはず —」を、今月10日にこのブログで紹介させていただいた。以下はその続編とも言える、独白である。ご笑覧いただければ光栄である。



大日本帝国憲法と日本国憲法の連続性

 実は、明仁を「平和主義者」と見なすことだけではなく、現行の日本国憲法を「平和憲法」と呼ぶこと自体に、私は最近疑問を持つようになってきている。こんなことを言うと、「第九条の会」のメンバーの仲間からおしかりを受けそうであるが、九条そのものはあくまでも擁護すべきという意見には変わりがないし、擁護するだけではなく、実際にどのように活用すべきかを私たちは考えるべきだというのが私の持論である。それだけではなく、憲法前文は九条に勝るとも劣らないすばらしい内容であって、特に、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる」という一節などは、国連憲章に含まれるべき類の名文である、と私は思っている。にもかかわらず…..、なのである。

 なぜか。その理由は、現行憲法が、私たちの通念とは違って、明治憲法=大日本帝国憲法を引きづっている面がかなりあるように私には思えるからだ。周知のように、現行憲法は1946年に公布されたが、形としては旧明治憲法第73条・憲法改正条項に基づいて、天皇裕仁の名によって制定・公布された。つまり、神聖不可侵な絶対権力の象徴である天皇、しかも無数のアジア人と自国民を殺傷した最終的戦争責任者である人間が、「民主憲法」を制定、公布するという、倫理的には甚だ不条理な、と言うより本来あってはならない手続きをとっている。しかし、法的な手続き上は、現行憲法はあくまでも大日本帝国憲法の「改正」なのである

民衆の側から明治憲法廃棄運動を起こして、民衆が自主的に憲法を制定したわけではないし、それだけではなく、戦時中に民衆を徹底的に抑圧し苦しめた治安維持法や治安警察法などの廃棄要求運動を日本国民が起こした結果でもない。換言すれば、裕仁の名前で、戦前の「ファシズム体制」が戦後「民主国家」に「平和的に移行」したわけである。一方、戦争責任は、連合諸国による東京裁判でごく一部の軍人、政治家、思想家にのみ負わすことで済まされてしまい、これまた我々民衆の側から自主的に戦犯追及を迫ることはほとんどなかったとは周知のところである。



裕仁の詔勅・詔書の形式的断続性と実質的連続性

 このような形での新憲法制定・発布での「平和移行」が、果たして国家としての日本を根本的に「平和国家」に改革したと言えるのだろうか、というのが私の疑念なのである。この形式的「平和移行」は、実は裕仁が出した詔勅にもはっきりした形で現れている。ポツダム宣言を受諾することを表明するために1945815日に出された詔勅については、2015421日にこのブログに載せた「敗戦70周年を迎えるにあたって戦争責任の本質問題を考える」で、私は次のように説明した。



「神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ」(神の国である自国の不滅を確信し、責任は重くかつ復興への道のりは遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け)よと述べているように、敗戦によっても、日本が「神」である自分を国家元首に戴く「神州不滅の国」であることに変わりがないことを再確認している。その再確認の上に、日本社会を徹底的に破壊した自分の責任は棚に上げて、国民に対しては、「お前たちには、神の国の復興に努力する責任がある」と、一方的に要求しているのである。



 ところが、1946年の年頭の詔書(いわゆる「人間宣言」)では、「朕ハ爾(なんじ)等国民ト共ニ在リ。常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等 国民トノ間ノ紐帯(じゅうたい)ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ」(私は諸君ら国民とともにある。常に利害を同じくして、喜びも悲しみも分かちあいたい。私と諸君ら国民との結びつきは、終始相互の信と敬愛とによって結ばれ、なる神話と伝によって生まれたものではない)と述べて、天皇と国民が一体であることを強調している。つまり、敗戦時には、いまだ「国民の義務は天皇である自分に対し引き続き忠誠心を持ち、従え」と命令しているのに対して、その後5ヶ月もたたない1946年の年頭では、自分の方から国民のレベルまで降り立って、国民にこびるような態度をみせている。もちろん、この態度の極端な変化は、戦犯裁判で訴追される可能性があることをひどく恐れていた裕仁が、生き残りをかけてとった様々な行動の一つであったことは言うまでもない。しかもこの「人間宣言」の冒頭では、明治天皇発布による「五箇条の御誓文」をあげて、日本政治はこの「出発点」に戻るべきでると主張しているのである。しかし、基本的には、憲法と同じように、ここにも「絶対主義天皇」から「民主主義的君主」への「天皇制」の「平和的な移行」が見られる。



新旧憲法に一貫して流れる「国体」観念と「万民翼賛体制」の危険性

 ところが、その「平和的な民主憲法」の1条から8条までが天皇に関する条項であり、これは明治憲法の章だてに沿って設定されていることを、私たちはすっかり忘れているのではなかろうか。明治憲法の1条から17条までが天皇関連条項であり、その1条の「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」が、現行憲法では「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位 は、主権の存する日本国民の総意に基づく」と一応は大変換している。なぜ「一応」なのか。それは、考えてみれば、旧憲法下の日本社会でも天皇は「国体」=「国の形」の生きた象徴(現人神)であったのであり、この国体の下で「万民翼賛体制」が布かれた。この「国の形の象徴」は、そのまま「日本国の象徴、日本国民の象徴」に継承されていることは明らかである。ということは、現行憲法の第1条は「新しい形での<国体>体制」を基本的に謳っていると言えるのではなかろうか。

 もう一度この1条をよく読んでみよう。天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」問題は、「主権の存する日本国民の総意に基づく」とあるが、この憲法が制定される前に、実際に国民投票で「国民の総意」が問われることは全くなかった。さらに、この条項は、我々国民が天皇の地位を一方的に規定しているかのように見えるが、よく読んでみるならば、実は我々「国民」の存在もまた象徴である天皇に規定されていると見なすべきではなかろうか。つまり、逆説的に言えば、天皇の地位は国民の総意に基づいているのであるから、その総意に反対である人間は「国民」とはみなされないということになるのではないか、というのが私の理解である。それが言い過ぎであるという批判があるならば、天皇裕仁が「国体の象徴」であり続けることを認めた上で、日本の民衆は新たに「国民」になったのだ、と言い換えてもよい。

 なお、GHQが用意した憲法草案の英語版の1条は、「The Emperor shall be the symbol of the state and of the unity of the people, deriving his position from the will of the people with whom resides sovereign power. 」(強調:田中)である。英語では「the people=人民」という言葉が使われているのに対し、日本語では「国民」となっている。微妙な違いではあるが、私にはひじょうに重要に思える。つまり、1条では、主権者であるべき「人民」一人一人の「個人」的存在が、明治憲法下と同様に、「国民」という全体的統一観念で無意識のうちに否定されているのではなかろうか、という疑念を私はどうしても拭えないのだ。それは、「天皇は国民と共にあり」=「天皇・国民は一体」という虚構の日本社会を作り出している重要な要因であり、拙論「天皇は平和主義者?」でも述べておいたように、天皇が現れる場所には、日本社会の政治社会問題をめぐるあらゆる喧騒・紛争があたかも存在しないかのような虚妄を作り出す重要な機能となっているのではなかろうか、というのが私の考えだ。

 いずれにせよ、私が言いたいのは、この1条には、明治以来の「天皇=国体」観念がその根底には流れ続けているのであり、政治状況に極端な変化があれば、再び日本社会を「万民翼賛体制」へと押しやる危険性を孕んではいないか、というのが私の懸念なのだ。それはあまりにも大げさではないかという批判があるかもしれない、しかし、事実、「万民翼賛体制」への危険性はすでに、926日の衆議院本会議であらわになっている。安倍晋三が所信表明演説で自衛隊員らを讃える拍手を合図に、自民党議員が全員一斉起立して拍手するという異常な姿は、「万民翼賛体制」下の日本社会では全く異常なことではなかった。こんなことが、今、堂々と国会議事堂内で行われ始めたのだ。憲法が改悪されて天皇が「元首」となるなら、「万民翼賛体制」への動きは急激に加速されることは日の目を見るより明らかだ。日本は、もうここまで「ひじょうに危うい」状況に落ち込んでいるというのが、私の憲法第1条との関連での想いだ。
 
実は、現行憲法第1条は、裕仁の戦争責任問題を完全に棚上げし、さらには忘却させる上で極めて重要な役割を果たしたと私は考えているのだが、この問題については、いつか機会をあらためて、詳しく論じてみたい。

新旧憲法に見られるその他の連続性

 他にも、見えにくい形ではあるが、明治憲法からの「引きずり」、とりわけ「理念的引きずり」はまだまだあるが、詳しく議論している時間的な余裕が今はないので、ごく数点だけ挙げておきたい。



 明治憲法第15条「天皇ハ爵位勲章及其ノ他ノ栄典ヲ授与ス」は、現行憲法第7条第7項「栄典を授与する」にほとんどそのまま継承され、勲章制度もその後復活して、栄典・勲章制度で国民のランク付けと国家忠誠心が相変わらず測られるという制度が維持されている。

 明治憲法では、居住・移転の自由、所有権の自由、信教の自由、言論・著作・集会結社の自由などが認められているが、それらの全てが、「法律に定めたる場合を除く」、あるいは「法律の範囲内」とか「安定秩序を妨げず臣民たる義務に背かざる限り」という条件付きの下である。これに対し、現行憲法第11条では、これらの「基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」(強調:田中)となっている。しかし、我々個々人の基本的人権は国家から「与えられる」ものではなく、個々人が本来、誰にも侵されることのない本源的な個人的権利として、最初から有しているものであると、私は信じる。国が基本的権利を上から「与える」というこの観念は、明治憲法の国家理念のイデオロギー的遺制ではなかろうか、と私は考える。こうした国家理念が安倍晋三のような全体主義的政治家や多くの公務員に今もって強く継承・維持されているのは間違いない。彼らにとっての基本的人権は、いまだに旧憲法の「法律に定めたる場合を除く」あるいは「法律の範囲内」での、「上から与える人権」なのだと思われる。そのことは自民党の「憲法改正草案」にも如実に表れている。

 現行憲法第15条では、「公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」とされているが、彼らにとって「全体」とは「主権者である国民一人一人」ではなく、「国体=象徴天皇の下で統合された日本国民」=「国家」なのである。したがって、そのような国家理念をもった政治家や公務員にとって、当然のごとく「国民」は、基本的人権の保有者ではなく、「管理」の対象とみなされる。このことを明示している具体的な例は多々あるが、文部科学省の公務員による独断的教科書検定や教員の抑圧的管理政策はその典型的な一例である。

 主権者一人一人が有する厳然たる「基本的人権」という理念の、日本社会における希薄性は、日本の法曹界にも強く残っているのではないかとも私は考えている。例えば、最高裁を含む日本の裁判所が、住民の基本的人権と深く関わっている米軍基地問題、自衛隊海外派遣活動や原発設置・原発再稼働問題など、公権力の「違憲性」に関わる重大な訴訟では、ほとんどの裁判官がその「違憲性」の問題に真っ向から判断を下すことを避けて「逃げ」の姿勢をとっている(この点で、2014521日に出された大飯原発差止請求裁判の判決はまさに例外であった)。

  まだまだ述べたい事例はあるが、今はこのくらいで終わりにしておきたい。「独白」にしては長すぎた(苦笑)。ただ、最後に、新旧憲法の連続性とはあまり関係ないが、私が現行憲法上でどうしても改正すべきだと思う、もう一つの条項について一言述べておきたい。それは24条である。

婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有する ことを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」(強調:田中)

 私は、この条項の「両性」を「両人」に改正すべきだと考えている。相手が異性であろうが同性であろうが、互いに愛し合う権利は、あくまでも二人のプライベートな問題であって、他人に、ましてや国家にとやかく言われる問題ではない。それは、あくまでも侵されてはならない基本的人権である、と私は考える。愛し合う人間が安心して平和に暮らせないところに、本当に平和な社会が構築されるはずがない。