2016年11月6日日曜日

「四國五郎追悼・回顧展」と「シドニー・海辺の彫刻展」


先月5日から11日まで広島市内で「四國五郎追悼・回顧展」が開かれました。残念ながら私は鑑賞することができませんでしたが、大成功だった様子を、展覧会を企画された池田正彦氏が書かれていますので、ご本人の承諾を得てここにご紹介します。(なお、この報告は『詩人会議』の来年1月号に掲載予定とのことです。)また同じく先月の20日から11月5日まで、オーストラリアのシドニーの有名な浜辺ボンダイ・ビーチで「海辺の彫刻展」が開かれました。幸いにして、開会式に妻と一緒に出席する機会がありましたので、簡単ながら報告します。


四國五郎追悼・回顧展
四國五郎の創作の原点に迫る

池田正彦(広島文学資料保全の会・事務局長)

 四國五郎追悼・回顧展は、広島市内での開催は四度目。
今回は、反戦・平和を訴えつづけた氏の原点に迫る展示に心がけた。(10月5日~11日 県民文化センター)
 20歳で徴集されてシベリア抑留を体験。一九四八年に帰還し、一緒に絵を描こうと誓い合った最愛の弟の無惨な被爆死を、残された死の直前まで書かれた日記によって知る。(弟・直登さんの日記と氏の解説文をパネル展示)
 直登さんの日記、八月六日の冒頭は「廣島大空襲さる 記憶せよ」(中略)「左の足が焼けつくように熱い。左の足の裏をみれば木材でブチ割られてどくどくと血潮を吹き出している」と、逃げまどう様子を生々しく記録している。(しかし日記は八月二七日でぷつんと切れる)
 その衝撃は、絵と詩・エッセイで反戦・平和を訴える信念として、戦後を出発させた。
 その一つは、峠三吉等との協働で「原爆詩集」や「辻詩」などの活動を展開。官憲の目をくぐりぬけながら逮捕を覚悟しての行動だった。
 第二は、一九九四年NHKが募集した「市民が描いた原爆の絵」において、番組出演など先導的役割を担った。それは、弟・直登さんの無念さを背負った表現者としての責務ととらえたからである。(「私記」とした原稿と、「市民の原爆の絵」などを、パネル展示)
 第三は、高橋昭博氏(元・原爆資料館館長)の体験を基に描かれた証言紙芝居である。年齢的にも体験的にも弟・直登さんをオーバーラップさせ描いた。
 この原画はデジタル化され、「敗北を抱きしめて」の著者であるMITジョン・ダワー名誉教授が開設されたサイトに英語と日本語の解説を加え公開されている。また、ハノーファ市でもドイツ語版の小冊子が制作され、学校などに配布されるなど広く活用されている。
 会期中の10月8日、今夏「ヒロシマを伝える―詩画人・四國五郎」を刊行した永田浩三さん、息子・光さんを招きギャラリートークを行った。当初50人を予定していたが、狭い会場は100人を超える人で埋まり大盛会であった。そこで、息子・光さんは「直接被爆体験のない父が、表現者として反戦・平和を強靭な信念とした父の並々ならぬ覚悟を感じてほしい」と語った。
 四國展の大きな特徴は、美術館とはあまり縁のない、ごく普通の市民の皆さんがたくさん来場されること。アンケートの回収の多さにある。これは市民画家と市井の民とともに生きた四國五郎の誇りうる勲章だと思うのは私だけではないだろう。
 アンケートの内容はさまざまだが、多くは「原爆資料館の中にコーナーを作るべき」「平和美術館を」「常設の施設があるべきだ」等々、ある意味で、そのまま行政への要請書となっている。(アンケートは今回187通、トータルで1000通を超えた)
 アンケートの中には「毎年やってほしい」との要望が散見する。おりしも来年(二〇一七年)は峠三吉生誕百年。「駆け抜けた広島の青春・峠三吉と四國五郎」、並走した二人に焦点をあてた展示会を準備したい。峠三吉・四國五郎の仕事そのものが広島の貴重な文化・記憶遺産である。
永田浩三さんと四国光さんによるトーク・ショウ(大牟田聡氏撮影)
 
シドニー・海辺の彫刻展

 夏は多くの海水浴客で賑わうシドニー市郊外の有名な砂浜、ボンダイ・ビーチの南端から、次の海水浴用砂浜であるタマラマ・ビーチまでの約2キロ弱の距離、ひじょうに風光明媚な海岸の散歩道が続いています。毎年、この海岸線を使って「海辺の彫刻展」が開かれています。今年は、このユニークな彫刻展が始まってから20周年記念の展示会でした。年を経るごとにこの彫刻展は海外でもますます広く知られるようになり、作品展示を希望する彫刻家の数が増えているため、今では、「選考委員会」で選ばれた作品でないと出展できません。今年は17カ国から合計100人ほどの彫刻家の作品が選ばれた。日本からも10名(その内の数名はオーストラリアに移住した人たち)の彫刻家の作品が選ばれました。
 作品は、海岸線沿いの散歩道のすぐそばの岩場あるいは芝生地、そしてタマラマ・ビーチの砂浜に設置されているので、散歩道をゆっくり歩きながら作品を鑑賞できます。天気が良い日は、すばらしい紺碧の海をバックにした作品を楽しむことができます。第1日目の10月20日は、とても良い天候に恵まれたため、学校の先生に引率されてグループで歩いている、小・中学生とみられる子供たちの姿も大勢見られました。通常は美術館の屋内や庭園に置かれている彫刻が、遠くに水平線の見える広大な海辺を背景にして置かれているのを見ると、全く印象が違うので、感動します。
 実は、今年の4月28日に、彫刻家であった私の義母インゲ・キングが百歳で亡くなりました。そのため、「海辺の彫刻展」の組織委員会が、今年の彫刻展をインゲ・キングに捧げるという形にしてくれ、彼女の大型作品2点をメルボルンからシドニーまで運んで特別展示をしてくれるという、とてもありがたいお誘いをいただきました。その上、私の妻(つまり義母の娘)と私の2人も開会式に招かれ、大勢の彫刻家と芸術愛好家たちにお会いする機会を与えられ、とても感謝しています。日本から参加された彫刻家のうち、牛尾啓三、田辺武、平田隆弘、石野耕一(オーストラリア永住)の方達とは個人的にお話を伺う機会もあり、芸術に疎い私もたいへん勉強させていただきました。
なお、下記はこの展示会に関するSydney Morning Herald と朝日新聞に載った記事です。ご参考まで。
Sydney Morning Herald
http://www.smh.com.au/entertainment/art-and-design/sun-rises-on-sculpture-by-the-sea-as-it-celebrates-20th-year-20161019-gs5mb3.html
朝日新聞
http://www.asahi.com/articles/ASJBN3TRNJBNUHBI01M.html?iref=comtop_fbox_u09
 
生前、ケーテ・コルビッツを尊敬し、彼女の作品から多大な影響を受けていた四國五郎さん、同じくケーテ・コルビッツを尊敬し、彼女に直接会って芸術家になるための助言を求めた私の義母(義母はその後間もなくナチス政権下のベルリンを逃れて英国に亡命)、その二人の作品展示がほぼ同じ時期に広島とシドニーで行われました。ケーテ・コルビッツという女性がもたらした影響に、今さらながら感激します。                           

義母インゲ・キングの作品Celestial Rings I


彫刻を鑑賞しながら散策する人たち
私の好きだった作品の一つ イタリア人女性 Silvia Tuccimei の作品 Flower Power
今年の最優秀賞に選ばれた西オーストラリアの彫刻家 Johannes Pannekoek の作品 Change Ahead 2016
現代アートのように見える自然岩
 
義母インゲ・キングの作品 Link III







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